C28
民主政治と公害裁判

 11月27日の朝日新聞に「排ガス差し止め命令」という見出しで、「名古屋南部公害訴訟」で原告が勝訴したことが報じられていました。記事によると、判決の中で名古屋地方裁判所は「被告国が国道23号線を自動車の走行の用に供することにより、浮遊粒子状物質の濃度が一日平均値一立方メートル当たり0.159ミリグラムを超える汚染となる排出をしてはならない旨を命じた」とあります。

 「排出をしてはならない」といっても、排気ガスを実際に排出しているのは、国ではありません。排気ガスを出しているのは、自動車を利用している不特定多数の人達です。そして、排出ガスの排出を制限すると言うことは、自動車を使用する人達に対して、自動車の使用を制限することになりますが、この裁判では彼らは被告でも原告でもありません。自動車排気ガスの問題で、この裁判の当事者として法廷にいるのは、原告の被害者と被告の国がいるのみですが、国は道路の供用者であって、自動車を使用する人達の利益を代弁する立場ではありません。この裁判は実質的な被告である、自動車の使用者が不在の欠席裁判であると言えます。

 このような裁判で裁判所が、排気ガスの排出を制限する判決言い渡すことは、裁判の当事者となっていない多数の人達の利害にかかわることを、一方的に決めていることになります。自動車を使用する人は、この判決に不服があってもそれを訴えることが出来ません。人を実質的に拘束しておきながら、異議を唱える機会をを認めないと言うのは、民主主義国家にふさわしくないと思います。車社会のメリットとデメリットをどうバランスを取るかという政治問題を、車を利用する人達を蚊帳の外に置いた法廷で議論するのが間違いあると思います。

平成12年12月1日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ