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なぜ判決でなく「所見」なのか

 11月15日の読売新聞は、「ヤコブ病訴訟 国・企業の責任認める」、「東京地裁 和解への所見、早期解決を要請」と言う見出しで、次のように報じていました。

 「東京地裁(岩田好二裁判長)は14日、原告の患者・遺族、被告の国・医薬品メーカーなどに、和解へ向けた裁判所の基本的考え方(所見)を正式に示した。被告側の『被害者救済責任』を認め・・・
 「・・・国には、最大の争点になっている『法的責任の有無』は別にして、『被害の再発防止に向け、より積極的な職責の遂行と組織の整備』を求めた」


 記事には「所見」の全文はおろか、まとまった要旨すら報道されていません。他の新聞を見ても同様です。裁判所は「所見」の内容を公表したのでしょうか。同様の裁判が行われている大津地裁では、裁判所の所見は非公式に原告・被告側に示されたとのことで、公表はされていないようです。

 国が被告となっている訴訟は全国民が被告であるとも言えます。国の敗訴となった場合賠償金は全額国民の税金によって賄われるわけですから、裁判の内容はすべて公開される必要があると思います。密室での解決は許されません。

 「所見」の全文が明らかでないので、漠然としか言えませんが、この裁判所の「所見」には明確な証拠と、法的根拠があるのでしょうか。批判に耐えるものなのでしょうか。法律上の損害賠償責任の有無が争われている裁判で、『被害者救済責任』とは、一体何なのでしょうか。国の法的責任の有無が争点になっている裁判で、『法的責任の有無を別にして』と言うのは、裁判所の言うことなのでしょうか。争点をすべて素通りして、根拠のない結論だけを出しているように思います。これはもう、法と証拠に基づく裁判と言えません。裁判所のすべきことは損害賠償責任の有無を判断することであって、病気の人を救済することではありません。それは行政の仕事です。

 被害者の早期救済を口実に、裁判所は和解を勧めていますが、本当に早期解決を望んでいるのであれば、迅速に判決を下せばいいのであって、和解にこだわる必要はありません。「所見」が証拠と法的根拠に基づくものならば判決を出すことは可能なはずです。それにもかかわらず裁判所が判決を出さず、「所見」に基づく和解を勧めるのは、この「所見」が判決では出せない結論、つまり、証拠と法的根拠に基づかない結論だからだと思います。

平成13年11月23日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ