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凶悪犯罪に対する感覚が麻痺している裁判所

 18歳の少年が23歳の若妻と11ヶ月の女児を殺した婦女暴行殺人事件で、広島高裁は無期懲役を言い渡した広島地裁の判決を支持し、検察の控訴を退けました。3月15日の産経新聞は判決要旨の中で次のように伝えています。

 「一応の反省の情が芽生えるに至っていると評価した原判決の判断が誤りであるとまでは言えない」、「矯正教育による更正の可能性がないとは言い難く、これを死刑回避の理由の一つとしたことは失当とは言えない」、「極刑がやむを得ないとまでは言えないとした原判決の量刑が軽すぎて不当だとは言えない」

 裁判所は更正の可能性を死刑を回避した根拠にしていますが、更正の可能性はそんなに重要な問題でしょうか。一昔前までの裁判では、被告の「精神状態(心神耗弱)」が死刑回避の口実によく使われていました。しかし、あまりにも頻繁に同じ口実が使われ、ついには池田小学校の事件の犯人のように、精神異常を装う人間が現れるに至り、この口実は裁判所も敬遠するようになり、その後は「犯行の計画性」、「明確な殺意の有無」が死刑回避の口実としてよく言われるようになりました。そして、今回は「更正の可能性」です。裁判所は次々と死刑を回避する口実を考えます

 「計画性」も「明確な殺意の有無」も「更正の可能性」も刑罰を決める本質的な要素ではないと思います。襲う前から殺すつもりだったのか、襲ってから殺す気になったのかを区別することに大きな意味があるとは思えません。また、法律は更正の可能性のない者を死刑にすると決められているわけではないのですから、被告人に更正の可能性が残っていることは、死刑を回避する理由にはならないはずです。産経新聞の記事では、「最大の争点となった更正可能性について一審の判断を支持した」と言っていますが、この捉え方がすでにおかしいと思います。本来「更正の可能性」などは最大の争点ではないと思います。

 問題は凶悪犯罪の重大性をどう見るかと言うことだと思います。産経新聞の記事は事件については簡単に母子殺人事件としているだけで、事件の残虐性について詳しいことを報じていませんが、この事件は犯人の少年が排水検査員を装って被害者宅に入った「計画的な犯罪」です。そして、被害者の本村弥生さん(当時23歳)を婦女暴行目的で襲い、抵抗されると手で首を絞めて殺害した後、遺体を陵辱した上、長女夕夏ちゃん(同11カ月)が遺体近くで泣き続けたため、床にたたきつけ、首にひもを巻きつけて絞殺したという凶悪で残虐極まりない事件です。

 このような事件で、凶悪性や残虐性よりも、些細な「更正の可能性」に関心を集中する裁判官は、凶悪事件に対する正常な感覚が麻痺しているとしか考えられません。
 また、判決文には「・・・とは言えない」が乱発されていますが、判決とは「不当とは言えない」内容であれば、何でも良いものなのでしょうか。司法官僚の無責任な作文は彼らのモラルの退廃を示していると思います。

平成14年3月24日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ