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裁判が長期化する理由

 11月12日の産経新聞は、「司法制度改革」、「一審判決2年以内に」と言う見出しで、次のように報じていました。

 
「政府は11日午後、首相官邸で『司法制度改革推進本部顧問会議』を開き、・・・裁判所、訴訟当事者に2年以内に一審を終える努力義務を課すとともに、最高裁が迅速化の状況を検証するよう求めている」

 日本の裁判はなぜ異常に長期化するのでしょうか。訴訟の件数に比較して、司法関係者の数が少ないからでしょうか。私はそうではないと思います。もし、司法関係者の数が少ないのが原因であるのなら、その結果は単なる裁判の長期化ではなく、未決事案の増加、裁判所のパンクという形で表れると思います。そうではなく、処理はされているが裁判に長期間を要するというのは、審理の進め方に問題があるからだと思います。

 日本の裁判が長期化する最大の原因は、審理の仕方が書面のやりとりが中心で、本当の意味での弁論が少ないからだと思います。今の日本の裁判では弁論とは言っても、実際には書類のやりとりがほとんどで、双方が文字通りの弁論を戦わせることはあまりありません。自らの主張は文書で提出し、相手方はそれに対して文書で反論します。相手の提出した文書に対する反論もまた文書による事になります。文書はすぐその場で書く訳にはいきませんから、相手方の文書に対する反論は次回の公判になります。次回の公判とは早くても1,2か月後が普通です。つまり1回の公判で一歩づつしか審理が進まず、しかも次の一歩は1,2か月後というスローペースです。

 私は外国の裁判の進め方はよく知りませんが、2年前のアメリカ大統領選挙の時のフロリダ州の開票をめぐる最高裁の審理の状況がテレビで中継されたときには強い印象を受けました。この裁判では双方の弁護士が法廷で文字通りの弁論を繰り広げ、レンキスト連邦最高裁長官自らが双方の弁護士に矢継ぎ早の質問を浴びせていました。これに対しては質問された弁護士もその場で答えなければならず、何事においても文書で次回の公判で回答するというスローモーな日本の裁判とは歴然とした違いが感じられました。

 11月20日の週刊新潮に、法廷で居眠りばかりしている裁判官が裁判官訴追委員会に訴追請求されたという記事がありましたが、以前、大阪弁護士会のアンケートでも、法廷で居眠りをしている裁判官のことが取り上げられていました。大事な裁判で居眠りをしているのはけしからぬ事ですが、日本の裁判が文書のやりとりが中心で、弁論と言っても文書を朗読しているに過ぎず、居眠りをしていても裁判官が務まると言う実態があるのだと思います。

 日本の裁判が長期化する原因は、司法関係者に弁論を戦わせる能力が乏しく、法廷が単に文書のやりとりをする場になっていて、一回の公判で一歩づつしか裁判が進行していかないからだと思います。

平成14年11月21日     ご意見・ご感想は こちらへ     トップへ戻る     目次へ