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親子関係存否の問題を補助生殖の是非の問題に話をすり替えている最高裁

 9月5日の読売新聞は、「凍結精子で死後生殖、父子と認めず 最高裁が初判断 原告逆転敗訴」という見出しで、次のように報じていました。
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 凍結保存していた亡夫の精子で体外受精し、男児(5)を出産した西日本の40歳代の女性とその男児が、亡夫の子としての認知を国に求めた訴訟の上告審判決が4日、最高裁第2小法廷であった。中川了滋裁判長は、「現在の民法は死後生殖を想定しておらず、親子関係を認めるか否か、認めるとした場合の要件や効果を定める立法がない以上、法律上の親子関係は認められない」と述べ、認知を認めた2審・高松高裁判決を破棄、男児側の請求を棄却した。法的な父子関係は認められないことが確定した。・・・

 判決は、死後生殖で生まれた子と死んだ男性との関係について、「親権、扶養、相続など親子関係における基本的な法律関係が生じる余地はない」と指摘。その上で、親子関係を認めるかどうかは、「死後生殖に関する生命倫理や生まれてくる子の福祉、親族など関係者の意識、社会一般の考え方など、多角的な観点から検討した上で、立法で解決すべきだ」と述べた。
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 親子関係とは何なのでしょうか。親子関係とは生物学的(血縁的)な親子関係を指すものだと思います。例外的には養子のように血縁関係のない人工的な親子関係(法的親子関係のみの親子関係)の例も存在しますが、それはあくまで人工的な例外に過ぎません。親子関係の存否とは、生物学的な親子関係が存在するか否かの問題で、倫理問題や司法判断が入り込む余地は全くない問題だと思います。

 そして、誰が父親であるか、親子関係が存在するか否かは、DNA鑑定が普及した現在では、単なる鑑定の問題で、裁判所が判断する問題ではありません。裁判所が生物学的親子関係があるにもかかわらず、「法的親子関係」などという概念を勝手に作り、現実に存在する親子関係を否定するのは、それこそ、民法の想定していない詭弁であり裁判所の暴挙だと思います。

 裁判所が、「民法が想定していないから、認めない」と言うのも非論理的だと思います。想定していないと言うのは、文字通り想定していないのですから、立法の趣旨が死後生殖の否定なのか容認なのかは誰も判断がつかないはずです。裁判所が否定の結論を導き出したのは自らの判断に他なりません。自らの判断で出した結論を、あたかも立法の趣旨であるかのごとく論じるのは詭弁だと思います。

 それに、想定していないと言うなら、今の民法はその制定当時、人工授精も体外受精も想定していなかったと思います。民法が想定していないから認めないと言うのであれば、裁判所は体外受精で生まれた子供と父親には「法的親子関係」を認めないのでしょうか。

 人間は父親なしに出生することはありません。生物学的な意味での父親は必ずいるものです。その人物に父親となる意志があったかどうかとは別問題です。売春婦が客の子供を産んでも、強姦の被害者である女性が子供を産んでも、相手の男が父親であることには異論の余地がありません。父親になる意志があったかどうか、父親としてふさわしいかどうかは問題ではないのです。しかも、精子を凍結保存すると言うことは、生殖を予定しての行為に他なりませんから、売春や強姦の例に比べて、男性の父親になる意志ははるかに強く推認出来ます。

 裁判所は、扶養とか相続とか親子関係の存否とは関係ない、二義的、経済的な問題を口実にして、しきりに補助生殖の問題点を指摘していますが、親子関係が存在するか否かと、凍結精子による妊娠・出産の是非とは全く別の問題です。裁判所は話をすり替えて、問われていない政治問題について勝手に意見を述べて結論を出しています。

平成18年9月6日   ご意見・ご感想は   こちらへ    トップへ戻る   目次へ