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言論の自由とは何か(八百長相撲と言論の自由)

 警察による別件賭博事件の捜査の結果、とうとう八百長相撲が白日の下に晒されることとなりました。長年しらを切り続けた相撲業界に鉄槌を下すもので、誠に慶賀に堪えません。

 しかし、鉄槌を下されるべき当事者がもう一人いることを忘れてはなりません。それは
裁判所です。裁判所はかつて八百長相撲を巡る名誉毀損事件で、八百長相撲の存在を否定し、その存在を報じた報道機関(週刊現代を発行する講談社)に過酷な制裁を科して、言論の自由を蹂躙しました。これは、八百長事件そのものより遙かに重大な問題です。

 新聞・雑誌等の報道機関の報道の自由は、民主政治に不可欠な言論の自由の観点から最大限の尊重が必要です。憲法にも「言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」とあるとおりです。八百長相撲の有無は多数の国民の利害に関わることで、これに関する報道の自由は最優先で確保されなければなりません。

 そもそも、言論の自由、出版・報道の自由を掲げる社会において、報道は事実と証明できることしか記事に出来ないのでしょうか、
そんなことを前提にしていては言論の自由は成り立ちません。ニュース・ソースを秘匿しなければならないケースはいくらでもあります。裁判では本当のことを言えないケースはいくらでもあります。報道機関が記事の内容を真実であると証明できるとは限りません。

 言論の自由を最大限尊重するのであれば、名誉毀損を訴える裁判においては、名誉毀損を訴える側が、報道が虚偽であることを証明すべきです。
 しかし八百長事件においてはこれは簡単に出来ることではないと思います。八百長が存在したことを証明することは可能でも、存在しなかったことを証明するのは不可能に近いと思います。それにもかかわらず、裁判所が疑惑の当事者の言うことを鵜呑みにして八百長が存在しなかったと安易に断定し、巨額の賠償金支払いを命じたのは重大で決定的な誤りであったと思います。週刊誌の記事に対して予断と偏見があったとしか考えられません。

平成23年2月13日   ご意見ご感想は こちらへ   トップへ戻る    目次へ