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最高裁の非嫡出子(“婚外子”ではない)相続違憲決定理由のお粗末

“婚外子”の法的地位向上は、必然的に“婚外妻”の地位向上をもたらす−

 9月5日の読売新聞は、「婚外子相続に関する最高裁大法廷の決定要旨」と言う見出しで、次のように報じていました。
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2013.09.05 読売東京朝刊 婚外子相続に関する最高裁大法廷の決定要旨
 〈本文記事1面〉
 
 最高裁大法廷が4日、結婚していない男女間の子(婚外子)の遺産相続分に関する民法の規定を違憲とした決定要旨は次の通り。

 【違憲判断の理由】
 相続制度は、被相続人の財産が誰にどのように承継されるかを定めるもので、制度を定める際は、各国の伝統、社会事情、国民感情なども考慮されなければならない。さらに、家族をどのように考えるかということとも密接に関連しており、その国の婚姻や親子関係に対する規律、国民の意識などを離れて定めることはできない。これらを総合的に考慮した上で、相続制度をどのように定めるかは、立法府の合理的な裁量判断に委ねられるべきだ。

 民法900条4号の規定のうち、婚外子の相続分を結婚している男女間に生まれた子(婚内子)の2分の1とする規定によって生じる区別について、立法府の裁量権を考慮しても合理的な根拠が認められない場合は、憲法14条1項に違反すると解すべきである。

 1995年の最高裁大法廷決定は合憲と判断したが、社会事情や国民感情などは時代と共に変遷するものであるから、規定の合理性については、個人の尊厳と法の下の平等を定める憲法に照らして不断に吟味されなければならない。

 規定が設けられた47年の民法改正以降、我が国では社会、経済状況の変動に伴い、婚姻や家族の実態が変化したとされる。高齢化の進展に伴って配偶者の生活を保障する必要性が高まり、子孫の生活手段としての意義が大きかった相続財産の意味にも大きな変化が生じた。80年には配偶者の法定相続分が引き上げられた。その後も婚姻、家族の形態が著しく多様化しており、国民の意識の多様化が大きく進んでいる。

 諸外国の状況も大きく変化している。60年代後半以降、子の権利の保護の観点から婚内子と婚外子の平等化が進み、相続に関する差別を廃止する立法がなされた。現在、双方の相続分に差異を設けている国は欧米諸国にはなく、世界的にも限られた状況にある。また国際連合の関連する委員会は、問題の差別的規定を問題とし、我が国に法改正の勧告などを繰り返してきた。

 こうした推移の中で、我が国でも、住民票での世帯主との続柄や、戸籍での父母との続柄の記載について、婚内子と婚外子が同様の扱いにされることとなった。法定相続分の平等化の問題についても早くから意識され、平等とする法改正の準備が進められたが、法案の国会提出には至らず、改正は実現されていない。その理由の一つは、我が国では婚外子の出生数が欧米諸国に比べ少ないなど、国民の意識の多様化が言われつつも、法律婚を尊重する意識が幅広く浸透していることだと思われる。

 しかし、規定の合理性は、憲法に照らし、婚外子の権利が不当に侵害されているか否かという観点から判断されるべき法的問題で、法律婚の意識の浸透や婚外子の出生数の多さ、諸外国との比較などは結論にただちに結びつくものとはいえない

 最高裁は95年の大法廷決定以来、結論としては規定を合憲とする判断を示してきたが、当時の決定で既に5人の裁判官が反対意見を述べるなどしており、その後の小法廷判決などでも、同様の個別意見が繰り返し述べられてきた。

 47年の民法改正時から現在までの社会の動向、家族形態の多様化や国民の意識の変化、諸外国の立法の流れや裁判での度重なる問題の指摘などを総合的に考察すれば、家族という共同体の中での個人の尊重がより明確に認識されてきたことは明らかである。

そして、法律婚という制度自体は我が国に定着しているとしても、父母が婚姻関係になかったという、子が自ら選択や修正をする余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許されず、子を個人として尊重し、その権利を保護すべきであるという考えが確立されてきているといえる。

 以上を総合すれば、遅くとも本件の相続が開始した2001年7月当時、婚内子と婚外子の法定相続分を区別する合理的な根拠は失われていた。従って、問題の規定は遅くとも01年7月当時、憲法14条1項に違反していた。
(以下略)
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 裁判所が今回判例を変更した理由についていろいろ言っていますが、記事に書かれている「決定要旨」を要約すれば、、結局最高裁が判例変更の根拠として言っていることは、

   1.「婚姻や家族の実態が変化した」、「国民の意識の多様化
          
   2.諸外国の状況も大きく変化した

     この2点しかないと思います。

 そのほかにも、 「父母の婚姻関係が子が自ら選択や修正をする余地のない事柄である事」とか、「住民票の記載が変わったこと」とか、「過去の裁判でも少数意見があったこと」などが理由として挙げられていますが、「父母の婚姻関係が子が自ら選択や修正をする余地のない事柄である事」などは、今に始まった話ではありません。それを理由とするならば、従来の合憲判決は明白な誤りであったと言うほかはありません。改めて「国民の意識の多様化」を云々する必要はありません。
 それに、相続とはもともと自分で選択や修正の余地のない事情(親の貧富など)によりもたらされるものです。それを悪とするならば相続を否定するしかありません。
 「住民票の記載」が変わったとか、「少数意見があった」とかは、ささいな事柄です。憲法判断を逆転する理由にはなりません。

そうすると残る理由としては、上記1.と2.しかないと思います。

 最高裁は「社会事情や国民感情などは時代と共に変遷」することを理由にして、「不断に吟味」すると言っていますが、憲法判断は安定している事が必要で、判例の逆転は例外中の例外でなければなりません。逆転するのであればその理由は明確で証拠に基づくものである事が必要です。最高裁の言っている理由に、明確な根拠や証拠があるでしょうか。何も証拠らしきものは提示していません。

 最高裁は国民に対してその理由を明示する必要から、世論調査の結果を利用しようとしたのだと思いますが、どの世論調査を使ったのかは不明なので、参考までに内閣府が実施した調査結果を下に添付します。

   平成24年に内閣府が行った世論調査では下記の結果となっています。   

   家族の法制に関する世論調査 内閣府大臣官房政府広報室 平成24年12月調査

     


 世論調査を見ると、「現状派」が減って「どちらとも言えない派」が増加したものの、 「同額派」が多数になったとは言えず、どう屁理屈を付けても
この状況で憲法判断逆転を正当化するのは無理と言えます。最高裁も「法律婚を尊重する意識が幅広く国民に浸透している」と言って、現状維持派が多数である事を暗に認めています。
   
 そこで、最高裁は、「
裁判は法的問題で、法律婚の意識の浸透や諸外国との比較などは結論に結びつかない」と居直ったのです。居直るのであれば、最初から国民の意識多様化とか外国の事情を云々する必要はないと思います。言っていることが支離滅裂です。

 しかし、「裁判は法的問題だ」と居直って、“意識の変化、多様化“に言及することなく現状を違憲としてしまうと、
従来の法的判断(合憲判断)は誤りであったと言うことなってしまいます。

 
従来の誤りを認めたくない、かといって理由も付けずに判例を大逆転するわけにも行かず、苦肉の策として「以上を総合すれば・・・」として結論を出していますが、全く論理的な説明になっていません。今回の場合、「以上を総合すれば」という文句を本来のそのままの意味で使用すれば、「以上を総合すれば、どちらが正しいかは何とも言えない」と言うのが、国語の上では正しい作文になると思います。
 不合理な判断をしているのは立法府ではなく最高裁の判事達の方です。

 
“婚外子”の法的地位向上は、必然的に
婚外妻”の地位向上をもたらし、下手をすると一夫多妻の“準公認”につながりかねないと思います。

 そのほかにも気づいた点が何点かあります。
 「婚内子」、「婚外子」と言っていますが、「嫡出子」、「非嫡出子」のはずです。内閣府の世論調査でも「嫡出でない子」としています。「婚内子」、「婚外子」とは、原告側の人たちが好んで使う言葉で、最高裁の中立性に疑問があります。

 「国民の意識の多様化が言われつつも、法律婚を尊重する意識が幅広く浸透していることだと思われる」とありますが、法律婚を尊重する意識が
「浸透している」という言葉は「染みついている」に近い表現で、「変化」、「多様化」に比べて否定的な表現であり、判事達に現状を支持する人たちに対する偏見がうかがえます。

 「法律婚」という言葉を使っていますが、わが国では結婚とは言うまでもなく“法律婚”を意味します。法律によらない結婚という概念はなく、それは結婚ではなく、同棲または内縁と言います。それをわざわざ“法律婚”という言葉を使っているところからも、判事達の原告寄りのスタンスがうかがえます。

平成25年9月9日   ご意見ご感想は こちらへ   トップへ戻る    目次へ