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広島地裁の違法判決、責任を負うべきは判事ではないのか −検事への責任転嫁、バカげている日本の司法−

 9月20日の読売新聞は、「違法判決知りながら放置の検察官懲戒…広島地検」と言う見出しで、次のように報じていました。
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違法判決知りながら放置の検察官懲戒…広島地検
2014年9月20日11時44分 読売新聞

 広島地裁が今年2月、刑事事件の男性被告に言い渡した判決が、刑法上の量刑の範囲を下回る違法判決だったことを知りながら放置したとして、広島地検は19日、検察官1人を戒告の懲戒処分としたと発表した。

 公判に立ち会った後輩の検察官も訓告とした。地検は2人の名前や現在の所属を公表していない。

 地検などによると、被告は強盗、窃盗の両罪に問われた。法定刑は懲役5年以上で、酌量減軽した場合でも半分の同2年6月以上なのに、判決は同2年4月、執行猶予4年だった。

 
誤りに気づいた裁判官は、公判に立ち会った後輩の検察官に知らせたが、相談を受けた先輩の検察官は「上司に報告しなくていい」と制止。控訴しなかったため、違法判決は確定した。

 先輩の検察官から話を聞いた他の検察官が6月、地検に連絡して発覚。先輩の検察官は「被告の不利益になっておらず、控訴する必要はないと判断した。職責の認識が甘く、申し訳ない」と話したという。

 地検は、当時の公判部長も厳重注意した。高橋久志次席検事は「誠に遺憾。指導を徹底し、再発防止に努めたい」としている。
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 この事件の本質は、判事が違法な判決を下したことにあるはずです。検事が控訴しなかったことではありません。それとも、判事のこの程度のミスは日常茶飯事で、それを検事が控訴して修正しているのが実態で、それゆえ今回検事が控訴しなかったことが問題になるのでしょうか。

 もし、そうなら「犬が人間に噛みついてもニュースにはならないが、反対に人間が犬に噛みついたらニュースになる」という例え話を想起させる事態ですが、幸いなことにそういう報道には接したことがありませんので、今回の事件は検事の問題ではなく、
判事の問題としてと視点を変えて捉えられなければなりません。この記事はピントがずれています。この事件は判事のミスであり、当然判事が自ら誤りを正し、責任をとらなければなりません。それが社会の常識です。裁判所は判事にペナルティーを科したのでしょうか。

 判事は、担当検事に「知らせた」とのことですが、どういう内容の連絡だったのでしょうか。新聞はそれを報じなければなりません。また、連絡は個人としてしたのでしょうか、それとも組織としての裁判所として連絡したのでしょうか。それもはっきりさせなければなりません。いずれにしても、自身で判決を出した事件について検事に対して控訴を促すという行為は、明らかに
被告人の利益に反するだけでなく、自己否定であり、越権行為の疑いもあり看過できない問題です。

 本件で責任を負うべき者は判事であり
検事への責任転嫁報道は許せません。このまま推移すれば、裁判所と判事は文字通り裁判所無答責、判事無答責を貫くことになりますが、これが健全な民主主義の社会でしょうか。

 もし、
今の法令上こうするよりなかったのだとしたら、日本の司法はバカげているとしか言いようがありません。誤りを犯した者が自らの責任でその誤りを正す方法がなく、あろうことか職権を逸脱して、個人的に担当検事に控訴を求めるなどとは、まさしくあってはならないことです。

 それとも、日本の司法制度は判事のこのような単純な誤りは想定するところではなく、今回のような事態に当たっては、判事は当然辞職することが期待されている、そう理解すべきなのでしょうか。しかし、そのような「期待」に応えた判事の話は聞いたことがありません。

 このような無責任、無法状態をこのまま放置して良いのでしょうか。このような
無法状態が判事のゆがんだ特権意識を助長し、特権意識が司法の腐敗を招いているのです。

平成26年9月20日   ご意見・ご感想は こちらへ   トップへ戻る   目次へ