C68
親権者の監督責任 司法判断を変えるべき事情は何もない


 4月10日の読売新聞は、「小6蹴ったボールよけ死亡、両親の監督責任なし」と言う見出しで、次のように報じていました。
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小6蹴ったボールよけ死亡、両親の監督責任なし
2015年4月9日22時52分 読売新聞

最高裁判決を受けて記者会見する、両親側代理人の大石武宏弁護士(右)ら(9日午後3時56分、東京・霞が関の司法記者クラブで)=清水健司撮影


 子供が起こした事故が原因で死亡したお年寄りの遺族が子供の両親に損害賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(山浦善樹裁判長)は9日、「通常は危険がない行為で偶然損害を生じさせた場合、原則として親の監督責任は問われない」との初判断を示した。

 そして1、2審の賠償命令を破棄し、遺族側の請求を棄却する判決を言い渡した。両親側の逆転勝訴が確定した。ほとんどの事故で親の監督責任を認めてきた司法判断の流れが変わることになる。

 裁判官4人全員一致の判断。判決によると、2004年2月、愛媛県今治市の市立小学校の校庭で、放課後に子供たちがサッカーで遊んでいた際、小6男児(当時11歳)がフリーキックの練習で蹴ったボールがゴールと高さ1・3メートルの門扉を越えて道路に転がった。これをよけようとしたオートバイの男性(同85歳)が転倒し、足の骨折などで入院して約1年4か月後に肺炎で死亡した。

 1審・大阪地裁、2審・大阪高裁はともに、
男児に過失があったと認める一方、11歳だったことから責任能力はないと判断。上告審ではこれを前提に、親の監督責任の有無が争点となった。

 判決はまず、男児の行為について「開放された校庭で、設置されたゴールに向けてボールを蹴ったのは、校庭の日常的な使用方法だ」と指摘。「門とフェンス、側溝があり、ボールが道路に出るのが常態だったとも言えない」とした。

 そして、親の責任について、「人身に危険が及ばないように注意して行動するよう、子供に日頃から指導監督する義務がある」と言及。ただ、今回の男児の行為について「通常は人身に危険を及ぼす行為ではなかった」とした上で、「両親は日頃から通常のしつけをしており、今回のような事故を具体的に予想できるような特別な事情もなかった」と
監督責任を否定した。

 2審判決は、親の監督責任について「校庭ならどう遊んでもいいわけではなく、それを男児に理解させなかった点で両親は義務を尽くしていない」と判断、両親に約1180万円の賠償を命じていた。

 遺族側は、
今治市には賠償を請求しておらず、訴訟では学校側の安全管理の当否は争点にならなかった。

 ◆親の監督責任=民法714条は、責任能力のない子供が事故などを起こした場合、「監督義務者」の親が賠償責任を負うと定めている。親がいない場合は、親代わりの未成年後見人や児童福祉施設の施設長が責任を負う。監督義務を怠らなければ責任を免れるが、免責を認めた判決はほとんどなかった。

 ◆最高裁判決の骨子◆

▽親は、子供が人身に危険が及ばないよう注意して行動するよう、日頃から指導監督する義務がある

通常は危険が及ばない行為で、たまたま損害を生じさせた場合は、具体的に予見可能だったなどの特別な事情が認められない限り、監督義務を尽くさなかったとすべきではない
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 裁判所は、「通常は危険が及ばない行為で、たまたま損害を生じさせた場合は、具体的に予見可能だったなどの特別な事情が認められない限り、監督義務を尽くさなかったとすべきではない」と言っていますが、
事故とは、「通常は危険が及ばない行為で、たまたま損害」が起きるのが普通であって、それを監督責任免責とするなら、ほとんどの事故が免責となってしまいます。子供の事故で予見可能な事故などはごく少数に限られると思います。

 裁判所は1、2審、最高裁ともに加害児童本人の過失を認めた上で、最高裁が親の監督責任を否定していますが、これが前例となるならば、子供の事故は誰も責任を負わず被害者が泣き寝入りを余儀なくされることになりかねず、子供を公園から締め出すことにならないでしょうか。

 そもそも今回の事故で
施設の管理者である学校・今治市が訴訟の当事者になっていない点が異例というべきです。この種の学校関連の事故は多数の事例がありますが、そのほとんどは施設(学校)管理者が当事者になっています。
 特にスポーツ中の事故については、加害児童にルール違反、指示違反がなければ加害児童が責任を問われることはまれで、多くの場合は施設(学校)管理者が責任を問われています。
 
 たとえば野球では場外ホームランや場外ファウルでボールが走行中の車にあたったり、人に当たり負傷者が出ることがあり得ますが、通常の試合や練習であれば、児童・生徒の責任が問われることはまずないと思います。責任を問われるものがあるとすればそれは施設(学校)管理者です。防球ネット・フェンスがなかったとか、あったとしても高さが不足していたという点が問題にされるのが通常です。

 今回のサッカー(遊戯)にしても、ゴールに向かって蹴ったボールは必ずゴールに入るとは限りません。むしろ外れることのほうが多いと言えるでしょう。
児童のしたことに過失があるというのは大変疑問です。学校がサッカー遊びを禁止していたのならともかく、容認していたのであれば、そもそも児童に過失はないというべきです。防球ネット・フェンスがなかったという点が問題とされるべきです。

 ところが今回の裁判では、学校側が訴訟の対象者になりませんでした。
この辺が何か事情がありそうです。児童本人の過失を認めて、親権者の監督責任を否定するのではなく、そもそも児童に過失はない、従って親権者に賠償義務はないとする方が、変な判例を作るよりも良い判断だったと思います(それとも最高裁は「変な判例」を出したかったのでしょうか)。
 こういう判例がまかり通ると、「子供のしたことは親の責任」と言う常識が通用しなくなり、悪ガキのしたことに無責任な親が責任を回避する口実にされそうな気がします。

 近年、親の監督責任を問うことに疑問を感じることは多々ありますが、その大半はそもそも子供本人に過失があるか疑問というケースが多いと思います。その周囲の監督者なり、施設(学校)管理者が責任を負うべきケースが多いと思います。それにもかかわらず、児童本人に責任があるかどうかを吟味することなく、親につけを回しているケースが問題だと思います。

 今回の被害者には気の毒ですが、本来責任を負うべき施設(学校)管理者の責任を問わなかったのですからやむを得ません。

平成27年4月10日   ご意見・ご感想は こちらへ   トップへ戻る   目次へ