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「滋賀患者死亡 元看護助手西山美香 再審無罪」事件、被告の自白だけで有罪とした原審判決は憲法違反 −反省が足りない判事達−

 3月31日の読売新聞は、「滋賀患者死亡 元看護助手 再審無罪 地裁判決 『自白 任意性ない』」という見出しで、次のように報じていました。
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滋賀患者死亡 元看護助手 再審無罪 地裁判決 「自白 任意性ない」
20200331 1500  読売



 滋賀県東近江市の湖東記念病院で2003年、患者の
人工呼吸器を故意に外したとして殺人罪で懲役12年の刑が確定し、服役した元看護助手・西山美香さん(40)の裁判をやり直す再審判決で、大津地裁は31日、無罪を言い渡した。大西直樹裁判長は「捜査段階の自白は任意性がない」として自白調書を証拠から排除した。

 再審公判では検察側が有罪立証せず、自白の任意性や患者の死因を地裁がどう判断するかが焦点だった。大西裁判長は死因についても
「致死性の不整脈などの可能性がある」として自然死の可能性に言及した。検察側が上訴権を放棄すれば、控訴期間(14日間)の経過を待たずに無罪が確定する。

 湖東記念病院では03年、慢性呼吸不全で入院中の男性患者(当時72歳)が死亡。西山さんは
公判で否認したが、大津地裁は05年、捜査段階の自白を根拠に有罪とした。07年に最高裁で確定し、西山さんは17年8月まで服役した。

 第2次再審請求に対し、大阪高裁は17年12月、
「不整脈による自然死の可能性」を指摘する医師の鑑定書を新証拠と認め、再審開始を決定。最高裁も支持した。検察側は当初、再審公判での有罪主張を表明したが、昨年10月に断念。今年2月の再審公判でも「裁判所に適切な判断を求める」とし、求刑しなかった。

 大西裁判長は判決で、西山さんは04年7月の逮捕前後、県警の見立てに沿うように
供述が変遷しており、「自身の体験に基づいていない疑いがある」と指摘。変遷に合理的な理由もないとし、自白の信用性を否定した。

 さらに大西裁判長は、西山さんには軽度の知的障害と発達障害があり、取調官に恋愛感情を持っていたことから、「やってもいない殺人を自白することはあり得ないことではない」と言及。取調官の誘導があったとしか考えられないとして
自白には任意性もないと結論付けた。

 一方、患者の死因では、
「呼吸器が外れ、急性の低酸素状態で死亡した」とした確定判決の認定を否定し、再審開始決定で新証拠とされた鑑定書などに基づき、不整脈やたん詰まりで死亡した具体的な可能性があるとした。その上で、自白が排除された以上、事件性は認められないと結論づけた。

 判決言い渡し後、大西裁判長は「(捜査段階で)
自然死の可能性が十分検討されていれば起訴されなかった可能性が高い」と語った。
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 記事に書かれている問題点(ポイント)は、
自白の任意性と、事故死とした鑑定書(以下旧鑑定書)と病死の可能性を指摘した今回の鑑定書(以下新鑑定書)の三点だけです。

 記事では、
「『呼吸器が外れ、急性の低酸素状態で死亡した』とした確定判決の認定を否定し、再審開始決定で新証拠とされた(新)鑑定書などに基づき、不整脈やたん詰まりで死亡した具体的な可能性があるとした。その上で、自白が排除された以上、事件性は認められないと結論づけた」と有ります。

 もともと
鑑定自白別物であり、自白が無ければ事件性がないと言う事ではない筈です。相互に関係があるかのような論じ方は適当ではないと思います。
 鑑定について言えば、旧鑑定が“事故死(事件死とは言っていない)”としたものが、新鑑定では“病死の可能性もある”になっただけで、新・旧鑑定で有罪か無罪かの分かれ目となるような決定的な違いはありません。
“事故死”でも“病死の可能性”でも、それだけで殺人に結びつけるのは無理で、殺人の証拠にも無実の証拠にもなりません。

 
残る証拠は自白だけですが、憲法38条3項「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない」によれば、仮に自白が真実を語ったものであっても、それだけで有罪にすることは出来ないはずです。自白が任意か否かという以前の問題です。
 それにも関わらず、
「大津地裁は05年、捜査段階の自白を根拠に有罪とした」のは、憲法違反と言うべきです。この問題は単なる誤判ではなく、“違憲”判決ではないかと言う問題になります。

 又、事故から10年以上の年月が経って、
遺体も確認していないと思われる医師の新鑑定書に鑑定書としての価値・信頼性があるのかも甚だ疑問と言えます。実態は鑑定書と言うより単なる“意見書”に過ぎず、本来再審の理由になり得ないのではないでしょうか。仮に新鑑定書が新証拠であったとしても、新証拠が自白の任意性の否定に繋がるものでは無いし、被告の無罪を証明するものでもありません。

 裁判所の論理は、
自白の任意性とは関係の無い新証拠(新鑑定書)を再審開始の根拠として再審を開始し、審理の過程では、新証拠と無関係な自白の任意性を取り上げてこれをを否定し、それによる「自白の排除」を理由に、今度はそれをもって事件性を否定して、無罪の結論を導くと言うものです。

 このような論理構成は、再審の審理の過程で、
再審開始の根拠となった新証拠とは無関係の自白の任意性問題を間に挟むことによって、新証拠(病死の可能性)で新証拠以上(事件性の否定)の成果を導き出して原判決を覆したことになり、このような“〇〇マジック"まがいの論法は詭弁であり、再審のあり方として問題を残すものだと思います。

 こういう裁判所の安易な鑑定書の扱いが起きるのは、そもそも判事には鑑定書の当否を判断する能力が欠けているという点に起因すると思います。こういうことをするのなら新鑑定書が信頼できて、旧鑑定書が信頼できないという理由を明らかにすべきです。そして。それが科学的な議論に耐えるものかどうかを検証する必要があります。

 
司法試験の科目には「医学」はもちろん、理系の科目は含まれていないと思いますし、そもそも、判事・検事・弁護士を目指す彼らの大半は大学でも高校でもそれらの科目を履修していないと思います。
 従って
鑑定書の当否を判断する能力を欠いていると思います。それが一つの根本的な問題だと思います。

 次に指摘すべきは、
原審判決はやはり、「自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である」にも関わらず有罪とした「違憲判決」だと言う事です。単なる誤判事件ではありません。司法の罪は非常に重いのです。

 一審の判事が適当な審理で安易に有罪とし、その後の高裁も、
最高裁も本来の上級審の役割を果たしていなかったのですから、関係者(裁判に関与した判事達)の責任を追及すべきです。
 判事達はその責任を
痛感していないだけでなく、捜査関係者に全責任を負わせています。

令和2年4月6日   ご意見・ご感想は こちらへ   トップへ戻る   目次へ