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選択的夫婦別姓裁判に見る司法の政治介入 −「社会情勢の変化(世論)」に応えるのは司法の役割ではなく、選挙と議会の役割−

 
12月10日の読売新聞は、「夫婦別姓 再び憲法判断へ…最高裁」と言う見出しで、次の様に報じていました。

(茶色の字は記事 
黒字は安藤の意見)
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夫婦別姓 再び憲法判断へ…最高裁
2020/12/10 05:00 読売

 夫婦別姓を認めない民法や戸籍法の規定が
「法の下の平等」などを保障した憲法に違反するかが争われた3件の家事審判の特別抗告審で、最高裁第2小法廷と第3小法廷は9日、それぞれ審理を15人の裁判官全員による大法廷(裁判長・大谷直人長官)に回付した。大法廷は2015年に夫婦同姓を定めた民法の規定を合憲としたが、社会情勢の変化などを踏まえて改めて憲法判断を示す見通しだ。
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 そもそも、現行
憲法・民法ができた当時「夫婦別姓」などは、誰の念頭にもなかったはずであり、当然その条文にも直接その点に言及した部分はない。従って「違憲」か「合憲」かと言えば「不明」であり、少なくとも「違憲」とは言えない。裁判所も5年前に原告の主張を排して合憲と判断したとおりである。

 判事に出来る事は、
憲法と民法を熟読して、そこに明白な違憲の根拠があるかどうか確かめることだけである。根拠があれば5年前に見つけられたはずだ。なぜ、5年後に同じ事を繰り返すのか。

 この
5年間で、憲法も民法も変わっていない。変わったことがあるとすれば、それは世論(社会情勢の変化)である。世論選挙によって確認される。従って「夫婦別姓」の是非を判断すべきは選挙で選ばれた議会(政治)であり、国民の代表ではない判事の意見でも、司法業界の多数意見でもない。司法による政治介入は三権分立に反し“違憲”である。

 
法廷にいる原告はあくまで単なる一個人であって、いかなる意味でも「国民の代表」でも、「典型的・代表的な国民」でもない。しかるにその原告と代理人達だけが、それ以外の全国民を全く“つんぼ桟敷”に置いたまま、法廷で意見・主張を述べ、判事を相手に、当時の憲法・民法が想定していないことを、屁理屈を並べ詭弁を弄して空想的な議論を展開して、違憲の結論を導き出そうとすることは、司法の脱線・暴走の極みなのである。
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 3件の審判を申し立てたのは、東京都内の
事実婚の男女3組。18年3月、夫婦別姓を希望する婚姻届を各自治体に受理させるよう東京家裁や同立川支部に求めた。しかし、いずれも「家族のあり方や姓の意義が15年の大法廷判決から大きく変化したとはいえない」などとして却下され、東京高裁も同様の判断で即時抗告を退けていた。
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 変化の大きさは関係ない。大きくても、小さくても
世の中の変化に伴なって、法律改正の必要が生じたときは、「違憲訴訟」ではなく、「民法改正議論」として、選挙・議会を通じて議論するのが民主主義のルールである。
 
裁判所を悪用してはならないし、裁判所もそれに便乗してはならない。
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 一方、内閣府が17年、全国の18歳以上の男女5000人を対象に行った
世論調査では、夫婦が希望すれば結婚前の姓を名乗ることができる「選択的夫婦別姓」容認する意見が42・5%に上り、12年の前回調査から7ポイント増加。今年7月までに102自治体の議会が同制度の導入を求める意見書を採択するなどしている。
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 この問題を「
夫婦別姓」の問題としているが、夫婦が別姓になれば、必然的に「親子、兄弟・姉妹」別姓の問題が発生する。つまり「家族別姓」の可否の問題なのだが、これを夫婦別姓の問題として取り上げるのは、問題点を隠蔽し問題の本質を矮小化するものである。

 また、
「選択的夫婦別姓」の可否についてだけ報じられているが、その前「家族別姓」そのものについての是非についての質問と、別姓の選択が可能になれば「自分もそれを実行するか」についての質問も加えるべきだ。それがこの問題の本質である。
 
「選択的」の一言はその後に続く質問として位置づけられるべきで、これだけを問う調査方法は、問題の本質を隠し、回答を賛成に誘導する影響が生じる恐れがある。
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 最高裁はこうした経緯も考慮し、
改めて民法規定について議論し直し統一的な見解を示す必要があると判断したとみられる。
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 統一した見解は
5年前に既に出ている。
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 15年判決は、15人の裁判官のうち10人が合憲の意見だった一方、
3人の女性を含む5人が違憲と判断大多数の夫婦が夫の姓を選んでいる実態を踏まえ、「男女平等に立脚した制度とはいえない」などと指摘した。
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 現行の夫婦同姓制度の下で、
夫の姓を選択する夫婦が現状で圧倒的多数である事と、夫婦別姓を認めていない民法の違憲性とは、議論がどう結びつくのであろうか。夫の姓を選ぶ夫婦と妻の姓を選択した夫婦の割合が5分5分ならば、夫婦別姓排除は合憲で、偏りがあれば違憲というのは理屈として成り立つのであろうか。

 この「姓」の問題だけでなく、法律上の
平等とは男女平等に限らず、機会の平等(均等)であって、結果の平等(均等)ではない。制度上、「機会」の平等が確保されている分野で、無理に「結果」の平等に誘導しようとすれば、それは本人の意思に反する結果に誘導する事になりかねない。

 この5人の判事は、「機会の平等」と「結果の均等」を(故意か過失で)
混同していると思われる。男女に平等の機会が保証されている中で、男女の比率が結果的に不均衡な部分は、社会の至る所で見受けられるが、それが問題視されるのは、女性の希望が叶わない分野だけである。
 
女性の希望が満たされている分野では、たとえその不均衡が著しくても、全く問題視されていない。

 それに原告が請求しているのは
夫婦別姓の容認であって、同姓制度の下で妻の姓を選択する夫婦の増加を求めているのではない。「同姓ではなく別姓」の主張である。夫の姓を選択した妻原告ではないし、この法廷には存在しない。
 
判事は原告の主張でも被告の主張でもない、現行の夫婦同姓制度の元で、妻の姓を選択する者の割合が極端に少ないことを問題視して意見を述べているが、それは判事達の当事者の主張とは関係ない独自の主張で、判事として不適当と言わざるを得ない。

令和2年12月12日   ご意見・ご感想は こちらへ   トップへ戻る   目次へ