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日本から技術を盗み続けた韓国企業、サムスン電子

 10月26日の読売新聞は、「日本で孤独な留学生活『新しい電子製品の観察が趣味』…死去したサムスン会長、日本から学び続ける」と言う見出しで、次のように報じていました。
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日本で孤独な留学生活「新しい電子製品の
観察が趣味」…死去したサムスン会長、日本から学び続ける
2020/10/26 07:13 読売

 【ソウル=豊浦潤一】25日死去した李健煕イゴンヒサムスン電子会長は、
日本から技術や経営ノウハウを学び、サムスンを日本のライバルを凌駕(りょうが)するグローバル企業に成長させた。パナソニック創業者の松下幸之助氏を尊敬しているとされ、日本企業の品質改善や経営手法にも精通していた。

■孤独な留学生活
 李健煕氏は、学生時代から、
日本の進んだ技術触れていた。日本で孤独な留学生活を送っていた頃、「新しく出た電子製品を買ってじっくり観察するのが趣味だった」(自著「李健煕エッセー」)という。

 最大の功績は、創業者の父や経営陣が「テレビもまともに作れない有りさまなのに」と反対するのを押し切り、
半導体事業への進出を決めたことだ。

 オイルショック直後の1974年、「韓国半導体」という会社が経営難に直面し、李健煕氏は、私費を投じて買収へと動いた。

 その後、ほぼ
毎週日本を訪れて半導体技術者に会った。日本での生活経験が豊富で日本語も堪能だった。自著によると、日本の技術者会社に秘密土曜日韓国に連れて行ってサムスンの技術者たちに徹夜で技術を伝授させ日曜日に帰すことも多かったという。


米ラスベガスで開かれた家電・情報技術の展示会を訪れた李健煕氏(手前右から2人目)
=2012年1月、ロイター

 
その結果、半導体はサムスンの主力事業に育った。日米の半導体メーカーを追撃し、90年代前半にはメモリー分野で世界シェアのトップに立った。

 しかし、同じ93年、サムスン顧問だった福田民郎氏(現・京都工芸繊維大学名誉教授)の報告書に「社員の働き方や製品のデザインの水準は平均以下で、このままでは競争に勝てない」との分析があるのを見て、がくぜんとした。思い当たるふしもあった。直前に米ロサンゼルスのスーパーで見たサムスン製品は、売り場の隅でほこりをかぶっていたのだ。

■妻と子供以外
 李健煕氏は93年6月、出張先のドイツ・フランクフルトに役員約100人を集めて「量から質」への転換を訴える新経営宣言を行った。「妻と子供以外は全て変えろ」という表現で変革を説き、「選択と集中」戦略によって
半導体液晶表示装置(LCD)情報通信の3分野に絞り込んで資源を投下した。

 現在、電気自動車のバッテリーやバイオ医薬品などの事業が、サムスンの未来の成長動力とみなされている。これも、「常にトップにならなければならない」という「第一主義」を標榜ひょうぼうし、初期段階で大規模な赤字を甘受しながらも攻撃的投資を続けてきた李健煕氏の遺産と言える。

 李健煕氏は生前、米倉弘昌・住友化学元社長や小林陽太郎・富士ゼロックス元会長、牛尾治朗・ウシオ電機元会長ら日本の財界人と幅広い親交を持ったことでも知られている。
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「日本の技術者を会社に秘密で土曜日に韓国に連れて行ってサムスンの技術者たちに徹夜で技術を伝授させ、日曜日に帰す」のは、日本の会社の技術を盗むことに他なりません。
 当時から、
日本の技術者が密かに韓国に渡り高額の報酬を得ていることは断片的に報じられていましたが、このように堂々と報じられたことは初めてだと思います。

 この書き方から見ると当時から、
日本のマスコミは知っていたものと思います。彼らの行為を「日本から学ぶ」というのは虚偽報道です。

 日本の
マスコミ業界ぐるみ韓国人の犯罪を隠蔽してきたのです。そしてこのような事態は半導体に限らず、液晶パネルに於いても行われていたのです。恐ろしいことです。

(掲示板 No960より転載)

令和2年10月28日   ご意見・ご感想は こちらへ   トップへ戻る   
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