E37
アメリカ下院決議に対する日本とトルコの違い

 昨年10月28日の産経新聞は、「非難決議で見えた外交の差という見出しで、アメリカ下院のアルメニア人大虐殺をめぐる非難決議が見送りになったことについて、日本の「従軍慰安婦決議」と比較して、次のように論じていました。
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 ≪トルコ断罪、形勢逆転≫
 旗色は急速に悪くなった。1915年に始まる「アルメニア人大虐殺」をめぐり、オスマン・トルコ帝国の歴史責任を追及する米下院の非難決議案である。決議案の表現はなかなか巧妙だが、要は継承政権である現在のトルコに旧悪を問う歴史の断罪劇である。・・・
 ≪慰安婦決議とは対照的≫
 ・・・「人権」という名のもとに、論争のある「歴史」を一方的に断罪されてはたまらないとするトルコの政府、国民の揺るがない姿勢が、約90年前の惨劇とは縁もない米国議会流の正義の審判に待ったをかけた。このまま廃案となるなら、壮挙ともいえる。
 ここで嫌でも思いだすのが、下院本会議で採択された慰安婦問題をめぐる対日非難決議だ。・・・

 歴史に仮託して日本をたたく米国経由の決議攻勢は、今後も繰り返されよう。日米同盟堅持に立つ限り、日本が自国の「重要性」や「魅力」を米国に向けて発信する国を挙げての表現力が求められる。トルコ外交の表現力を見ていて、つくづくそう思う。(やまもと ひでや)
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 産経新聞は、日本とトルコの違いを「外交の表現力の差」としていますが、これは本質からはずれた皮相的な見方であると思います。
 日本の「従軍慰安婦問題」と、トルコの「アルメニア人大虐殺問題」とでは、ちょっと見ただけでも大きな違いがあります。

 1番の違いは、「従軍慰安婦の問題」は、平成4年1月の宮沢訪韓に照準を合わせて、反日日本人が始めたキャンペーンに端を発した問題、すなわち日本国内発の問題であると言うことです。

 そもそも、戦地に「従軍慰安婦」がいたことは公知・公然の事実で、秘密でも何でもなかったことです。韓国人も慰安婦は単なる兵隊相手の戦地売春婦と認識していたはずです。売春婦の中に身売りされたり誘拐同然に連れてこられた気の毒な人がいたとしても、それは、当時の売春婦としてはよくあることで、決して当時の韓国人に限りません。日本政府の責任ではありません。

 韓国独立後、難航した日韓国交正常化交渉の過程でも、問題になったのは韓国政府の半島で唯一の合法政権と言う正当性の問題と、財産請求権問題と、在日韓国人の法的地位の問題と、李承晩ラインの撤廃問題だけで、慰安婦の「い」の字も議題にはなりませんでした。このことは当時の韓国人の認識を雄弁に物語っています。もし、日本官憲による大規模な「慰安婦狩り」が行われていたのなら、彼等がその時黙っているはずがありません
 一方、「アルメニア人大虐殺の問題」は、もちろんトルコ人が言い出し始めた問題ではありません。

 2番目は日本では河野洋平他多くの反日日本人が今なお、虚偽を振りまき日本政府を断罪し続けていることです。官民一致の対応をしているトルコとは大きな違いです。
 このような国内の異常事態で、政府の外交が無力になるのはやむを得ません。国内に有力な裏切り者勢力がいては外交は力を発揮することはできません。問題の本質は外交ではなく、日本の国内にあると言うことです。
 日本国内で河野談話を取り消し、河野洋平を断罪し、政治生命を断つことなく、「従軍慰安婦は強制ではなかった」などと言っても、第三国に対して説得力があるはずがありません

 3番目はトルコはアメリカにとって旧敵国ではありませんが、日本はアメリカにとって旧敵国であり、「従軍慰安婦」は日米交戦中の出来事です。

 トルコに反トルコ・トルコ人はいません。ドイツにも反独ドイツ人はいません。当たり前のことです。しかるに日本では反日日本人が公然と活動しています。
 自国に不利益な活動をする国民が、市民権を得て公然と活動することが考えられない諸外国の人達から見れば、反日日本人は「良心的な」日本人に見えます。彼らもそのように装っています。この「良心的日本人」を偽装する反日日本人を一掃しない限り、日本外交の劣勢は今後も続くと思います。

平成20年1月20日   ご意見・ご感想は   こちらへ    トップへ戻る   目次へ