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ユーゴスラビアの戦争が教えるもの(ソ連なきあとの国連体制の崩壊)

 ユーゴスラビアの戦争は多くの事を我々に示しています。一つは国連が全く蚊帳の外に置かれて戦争が始まったことです。NATOは国連決議と言うお墨付きなしに、戦争を始めました。ロシア(旧ソ連)が無視できる存在になったことで、NATOを構成する欧米諸国は、誰にも、何の遠慮もする必要がなくなったと言えます。

 NATOが結束して戦争を始めれば、ブレーキをかけるのは容易では有りません。ブレーキをかけるものがいません。NATO内部で分裂が始まるのを待つ以外にありません。4月2日、NATOは欧州連合軍最高司令官の権限を拡大し、従来の加盟国全員一致の原則を放棄し、米英仏独伊の5カ国で作戦を決定できるようにしました。国連を蚊帳の外に置くだけでなく、他のNATO諸国も蚊帳の外に置いて、実質的にこれらの5大国がすべてを決定すると言う状況が生まれています。

 また、この問題についてはアジア、アフリカ、中南米諸国は何の発言権もないと言うこともはっきりしました。今まで発展途上国が国際社会で一定の発言力があったのは、米ソ両超大国の対立があったればこそで、それが消滅した今、これらの国々は全く無視されています。今後も苦難の道を歩まざるを得ないでしょう。我が国の地位も同様なところがあります。米ソ冷戦が終結した今、アメリカにとって我が国の重要性は下がる事はあっても、上がることはないと考えられます。

 国連が有効に機能しなくなったことによって、戦後の日本外交の金科玉条だった国連中心主義は見直しをする必要があります。国連体制は、日本を敗戦国、旧敵国として位置づけるものであり、我が国にとって必ずしも、好ましいものではなかったと言えます。アメリカに次ぐ世界第2位の分担金を負担させられているにもかかわらず、常任理事国になるめどは全く立たず、反対に、経済的にも、人的にも、軍事的にも何らの貢献をしない中国が、常任理事国の拒否権の特権を利用して、自国の利益を得ているだけです。我々は来るべき国連後の世界の新秩序に今から備えておくべきだと思います。

 もう一つ、日本国憲法はその平和主義の前提として、前文で「・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と言っていますが、ユーゴスラビアで起きた戦争は、現実の世界がそんなことを言っていられるような状況ではないことを国民に教えています。

 今回はセルビアが他国を侵略をしたと言う状況ではないので、NATOの攻撃は、宣戦布告もなく、侵略に対する防衛でもなく戦争を始めた事になります。アメリカは真珠湾攻撃について、宣戦布告の前に攻撃した言って日本を非難しますが、今回のユーゴスラビア攻撃では、あとにも先にも宣戦布告をしていないのですから、アメリカは今後日本を非難する資格がなくなったと言うべきです。また、彼らは自分たちの行為を「正義の戦争」として、「戦争犯罪」とは認めないでしょうから、「戦争を始めること自体は、戦争犯罪ではない」と言う、「東京裁判」に対する我々の主張に新たな根拠を与えたことになると思います。

平成11年4月4日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ