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「プライド 運命の瞬間」

 映画「プライド 運命の瞬間」を見ました。ようやく日本でこういう映画が作られるようになったかという一種の感慨がありました。と同時にここまで来るのに50年はあまりに遅すぎたとも思いました。死を覚悟して、日本の将来を案じ、自分の弁明でない、日本の弁明をした東条英機、法律家として管轄権の問題、事後立法による処罰の違法性などを主張した清瀬一郎の二人は日本人の誇りだとも思いました。アメリカ人弁護士の弁護士としての正義感にも感動しました。

 戦前、戦中の日本人にとって、自分たち日本人が犯罪者でないことは、ある意味で自明のことであったと思います。しかし、それを口に出せない時代が長く続きました。その間に洗脳はまず学校から始まり、徐々に蔓延していったのです。先年、現在は陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地となっている、「裁判」が行われた建物が解体されると決まったとき、日本人の犯罪が裁かれた記念として、永久保存しようと主張した日本人がいました。これが病気でなくて何でしょう。現在この病気は自民党の一部にまで及んでいます。東京の平和記念館、長崎の原爆資料館の展示に見られる反日運動を見ると、洗脳(マインドコントロール)の恐ろしさを感じます。今の日本には占領軍はいません。旧戦勝国の誰に頼まれたのでもなく、日本人が進んで反日運動の先頭に立っているのです。

 映画にもあるように占領期間中日本の新聞は、広範かつ徹底的な検閲のもと、占領軍の宣伝役を担わされました。占領終了後、新聞はその事実を読者、国民に明らかにしたのでしょうか。国民に対して検閲の事実を認めることも、謝罪することもなく、占領中と同じ報道を続けてきたことが、病気が蔓延して、ますます重症になった原因です。いともたやすく検閲に屈し、洗脳され、未だその洗脳から覚めないことは、情けないことです。

 この映画は中国流に言えば完全に“東条賛美”の映画です。アメリカ政府の偽りの正義に真っ正面から異議を唱えるものです。これに対して、アメリカ人からまともな批判が来ていません。戦後50年にして、彼らは己の不正義を認めざるを得なくなったのでしょうか。
 ドイツでは何年経ってもヒトラーを弁護する映画は作られないでしょう。日本とドイツでは根本的な違いがあるのです。私はこの映画が日本の「戦後」のターニングポイントになることを願ってやみません。

平成10年6月14日       ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る   F目次へ