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日米開戦を無謀と言うが、それ以外の選択肢があったのか −戦争をして負けるか、戦争をしないで負けるかの2つしか選択肢がなかった開戦当時の日本−

 7月23日の読売新聞は、「東条の胸中 生々しく 高官メモ」と言う見出しで、次のように報じていました。
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東条の胸中 生々しく 高官メモ
2018年7月23日5時0分 読売


 日米開戦前夜、東条英機首相が語った言葉をメモに残したのは、東条内閣で内務次官や内務大臣を務めた湯沢三千男氏(1963年死去)だった。戦後は随筆でも活躍した人物で、開戦を主導しながら戦況悪化を受けて退陣に追い込まれた東条首相の姿を見つめ、戦争の内幕を詳細に記録していた。

(中略)

  宰相の資質 限界示す

 陸軍を代表するエリートの東条首相は主戦派だったが、天皇への忠誠心から組閣後、戦争回避も検討した。結局、開戦論に押し切られるが、報告にたけた官僚的な素養で昭和天皇の信任を得た。その天皇に強く依存しながら、開戦を主導した東条の実像を湯沢氏のメモは生々しく伝えている。

 静岡県立大の森山教授は、東条の「すでに勝った」という発言に着目、「戦争は敵と国際情勢に大きく左右されるのに、天皇の下に国内が一致結束すれば事なれり、とする
視野の狭さを象徴する記述だ」と指摘する。

 メモは東条が7日に面会した昭和天皇の姿も伝える。

 東条に即した記録では最も価値が高い「東条内閣総理大臣機密記録」、天皇の側近木戸幸一の「木戸日記」など主要な史料でもこの面会の内容はわからない。昭和天皇史の一端がメモで明かされたことになる。

 来月、73回目の終戦の日を迎えるが、310万人もの犠牲者を生んだ戦争の検証に終わりはない。
無謀な日米開戦の前夜、時の指導者が語った言葉を読み解くことは、昭和天皇の思いをよく知る天皇陛下が訴えられる「先の大戦の反省」を深める上でも意義がある。(編集委員 沖村豪)

(以下略)     

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 日米戦争(大東亜戦争 太平洋戦争)の開戦について、今日では、当時の米国のルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相が日本に戦争を仕掛け、打ち負かすべく、軍事・外交の両面で挑発と攻勢をかけていたことと、日本が戦争を避けるために必死の外交努力を重ねていたこと、さらに真珠湾攻撃は暗号解読によりアメリカは知っていたにも拘わらず、防衛手段を執らなかったこと等は、今や周知のことであると言って良いと思います。

 しかるにその戦争について、
「無謀な日米開戦」と捉え、「日本人は反省すべき」という主張は、何年経っても変わることなく多くの日本人によってなされています。

 
310万人の死者を出し、日本が敗北したことは既に結果としてでていることですから、無謀な戦争を始めたと非難することは容易であり、反対にそれに反論することは結果を認めない暴論であるかの様な非難に晒され、議論を続けるのが困難となっています。
 開戦を無謀と断じるのであれば、
開戦に至る経緯を踏まえた上で、他にどういう選択肢があったのかが当然論じられるべきだと思いますが、そういう議論には発展することなく思考停止に陥っているのが実情です。それで良いのでしょうか。

 戦争を避け、かつ
悲惨な結果を免れるという選択肢はあったのでしょうか。ここに思い至った時に、同じ読売新聞の6月4日の「経済学者の分析開戦の口実…陸軍省研究班戦争遂行力の報告書」と言う見出しの、下記の記事を思い出しました。
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経済学者の分析開戦の口実…陸軍省研究班戦争遂行力の報告書
2018年6月4日5時0分 読売

 ◇牧野邦昭・摂南大准教授が著書

(中略)

 牧野准教授は、主として1940〜42年に活動した陸軍省戦争経済研究班(通称「秋丸機関」)を題材に、経済学者の判断が対米戦争にどうつながったかを考察した。陸軍の秋丸次朗中佐を中心とした秋丸機関には、有沢広巳や武村忠雄ら一流の経済学者が集い、米英独日などの経済的な戦争遂行力を調査して多くの報告書を作った。研究成果を巡っては、
「経済学者が対米戦の無謀さを指摘したのに、陸軍が無視して開戦した」との理解が通説だった。有沢が戦後、「報告書は国策に反する内容だったので焼却された」などと話し、91年に見つかった報告書にも英米の経済力の大きさが示されていたためだ。

 だが、牧野准教授が2013〜14年にドイツに関する報告書などをネットで相次いで「発見」。研究を進めると、長期戦なら米国には勝てないとする一方、ドイツがソ連を短期間で負かせば英国には勝てるかもしれないといったように、報告書で導き出された結論は、読み方によってどうにでも解釈できることが分かった。また、使われたデータや結論は、当時の雑誌や新聞でも掲載されていたことも明らかに。牧野准教授はさらに、様々な原因を挙げて有沢の回想も誤解と推測。
「一流の経済学者が分析した高度な秘密情報が握りつぶされた」との通説が成り立たないことを証明した。

  ◎   ◎

 ならば、
日本はなぜ開戦に踏み切ったのか。秋丸機関などの研究成果は、対英米戦を行えばかなり高い確率で敗北するということを示したが、当時は、開戦しなくても数年後には確実に国力を失い、戦わずして屈服するとの別機関による研究成果も出ていた。

 牧野准教授は、秋丸機関などの研究成果自体が、国際情勢の変化などで敗北を回避できるわずかな可能性に賭けなければならないという意思決定の材料になってしまったと説く。本書ではこれを、損失回避をより重視する行動経済学や、集団意思決定が非合理的で極端な結論につながるという社会心理学の観点から、説明した。

(以下略)

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 この
「開戦しなくても数年後には確実に国力を失い、戦わずして屈服する」と言う1行に強い印象を受けました。
 無謀な開戦というのは易しいことですが、開戦しなくても数年後には国力を失い、戦わずして屈服するというのであれば、それは取るべき選択肢でしょうか。ではどうすれば良かったのか、
他に取り得る選択肢があったのか、なかったのかを考えることが重要ですが、今まで開戦を巡る議論では、「無謀」の一点張りでそこまで掘り下げた議論はなかったように思います。

 
燃料他主要な原料をアメリカやアジアのヨーロッパ諸国の植民地からの輸入に依存していた当時の日本は、欧米の経済封鎖が続けば経済的に破綻し衰退することは十分予想できました。その先はアメリカの支配下に置かれ、最悪の場合は半植民地的な地位に陥ることもあり得たのではないでしょうか。

 そうなれば
日本の東南アジア進攻はなく、アジアの植民地が独立することも実現せず、欧米の白人諸国のアジア支配が続き、日本の半植民地状態早期脱却は困難だったかもしれません。
 
戦わずして負けると言うことはこういう結果に終わる可能性が大です。その過程で多くの日本人の命が失われる可能性は否定できません。戦争にさえならなければ人命が失われないと考えるのは甘いと思います。

 開戦以外に他にどういう
選択肢があったのか、それは実際に可能だったのか、そういう議論が為されずに今日に至っているのは、議論が本当の真剣な議論ではなく、日本人に罪悪感・敗北感・無力感を抱かせることだけが目的の議論であったからだと思います。

平成30年7月31日   ご意見・ご感想は こちらへ   トップへ戻る   目次へ