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国家と宗教 イギリスにおける政教一致

 昨年12月の滋賀県における献穀祭訴訟の判決理由で、近江八幡市の公金支出が、政教分離の原則に反し、違憲とされたことは記憶に新しいところです。それ以前に於いても、最高裁は平成9年4月に「愛媛県玉串料訴訟」の判決で愛媛県が戦没者の慰霊のために、県が靖国神社と護国神社に五千円、一万円の玉串料、供物料を支出した行為を憲法違反と断定しています。我が国に於いては宗教(神道)は公の分野から厳しく排除されています。そして、我々は世界の民主主義国家ではこれが当然で、国家と宗教の完全分離は近代国家の常識であるかのように思いこまされてきました。

 ところが最近、京都新聞(1月26日)の報道で、民主主義のお手本のように思われてきた英国が、実は「政教一致の国」であることを知りました。共同通信の配信記事なので他の新聞でも読まれた方もいると思います。

 記事の主なところを抜粋します。

「現在も女王が首相の助言で教会首脳を任命するなど国家とのつながりは強い。カンタベリー大主教ら宗教貴族が自動的に英上院に議席を与えられ、国政関与の特権もある」

ブレア首相はまだ、政教分離を明確に打ち出していないが、首相やブラウン蔵相、ストロー内相が『教会と国家の段階的分離』を掲げる組織に名を連ねるなど、労働党としては政教分離に前向きだ」

教区の主教は、教会推薦の二人の候補から、首相が一人を選び女王が任命するのが慣例だが、ブレア首相は初めて二人とも拒否、妥協人事の成立まで一年以上かかった」

「『国教会は依然、英国の精神世界の柱であり、十年以内に完全な政教分離が実現するとは思えない』(ノースコット教授)というのが専門家の一致した見方だ」

 記事は断片的で、英国における「政教一致」の全体像が明かではありませんが、「ささやかな玉串料程度の関係」を遙かに越える、政教一致ぶりを窺い知ることができます。

 実は、このような宗教(キリスト教)と国家の深い関わり合いは、英国に限ったことではありません。
 アメリカでは、4年ごとに連邦議事堂の前で行われる大統領の就任式は、大統領がキリスト教の聖書に左手を当て、大統領として誠実に任務を果たすことを神に誓うと言う形式で行われています。また、フランスにおいては、1996年1月12日、ミッテラン前大統領の死去に際して、ノートルダム寺院でフランス政府主催の公式追悼ミサが行われました。
 一方我が国では、昭和天皇の大喪の礼の時に、一連の葬儀の儀式の中で、皇室行事と、国家の行事を厳格に線引きし、皇室行事とされた儀式が終わるやいなや、鳥居を撤去して宗教色を完全に排除して、政府の儀式を始めました。

 日頃我が国のマスコミは何かにつけて、「欧米先進国」を引き合いに出して、日本人に彼らを見習うべき事を説きますが、この国家と宗教の問題に関し、キリスト教国の国家と宗教の密接な関係をおくびにも出さないのはなぜでしょう。
 このように見てくると日本の敗戦後、占領軍が神道指令、憲法改正を通じて、「国家と宗教の分離」を日本人に強要した意図は、日本人の精神的支柱であった、神道を排除して日本を弱体化することにあったことは明かであると思います。現在行われている神道と国家をめぐる裁判の成り行きを見ると、残念ながら日本人は彼らの思惑通り、自ら民族としてのアイデンティティーの破壊を進めているとしか、言いようがありません。

平成11年2月7日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ