F23
敗戦は日本の女性を解放したか

 8月24日の読売新聞に、「にっぽん人の記憶 20世紀」という、連載企画記事があり、「進駐軍」「『抑圧』解かれた女たち」と題して次のように書かれていました。

 ・・・〈キャラメルやチョコレートのためにする売笑行為をやめよ・・・言うことを聞かねば天誅を加える〉
 1945年11月下旬、福島市の駅前通りの電柱に、黒々と墨で書かれた新聞紙大の紙が三枚、張り出された。「神州鞍馬天狗」と署名があった。
 福島進駐は1945年9月28日。わずか2か月後には、地元の若い女性が、米兵と腕を組んで歩く姿が目に付くようになった。・・・
 地元紙「福島民報」の12月11日付投書欄に、張り紙に対する女性の反論が掲載された。
〈女性と進駐軍の折衝は必ずしも売笑的行為ではないはずです。人間と人間とのつきあいに対して直ちに婦道の腐敗と断言するのは・・・。福島に進駐軍を迎えさせ、一部の人々に1本のタバコ、一噛みのチューインガムを求めさせるような結末に追い込んだのは一体どなたなのでございましょうか。戦争中は女性の発言は一切認められず、ただ男性に盲目的追従を強いられて参りましたけど、女性も政治に参与することができるようになりました。私たち女性は再びこのような戦いをさせることはないでしょう〉・・・

 日本を戦争に追い込み、破局に追いやったのはアメリカだと思います。日本の女性に参政権があったとしても、戦争は避けられなかった可能性は高いと思います。仮に日本の敗戦が男性の責任だとしても、それは女性の売笑行為を正当化するものではないし、そのような正当化の仕方は女性が自らを貶めるものだと思います。

 この投書の人は女性の立場でものを言っているようですが、彼女は女性である前にひとりの日本人ではないのでしょうか。祖国の敗戦後の惨状について、女性とか男性とかではなく、1人の日本人として考えることはなかったのでしょうか。わずか2ヶ月前まで、死闘を繰り広げた相手であり、自分たちの父や夫や兄を戦場で殺し、女性や子供を含む多くの日本人を無差別に殺した敵国の兵士と日本人の女性が、「人間と人間のつきあい」をしているというのは、実態をごまかすきれい事に過ぎないと思います。そのような女性達の姿に、憤ったのは決して男性だけではなかったはずです。多くの女性達も思いは同じであったと思います。それが、巧妙に男性対女性の問題にすり替えられていると思います。

 この張り紙をした男性は今も健在で、当時を振り返って、「・・・進駐軍が、日本の女性に男女平等の意識と解放感を与えたことは認めざるを得ない」と言っているそうですが、女性として考える前に、日本人として考えることができなくなったことを、「解放された」と言うのはおかしいと思います。このようなことを「解放」というのであれば、「解放」した人、進駐軍の意図が何であったかを考える必要があると思います。

 当時の新聞はすでにGHQの検閲下にありました。今回の記事の中で男性は、「張り紙の犯人をMPが探していたようだ」とも言っています。この「福島民報」紙上の論争は果たして公正な議論だったのでしょうか。この女性の意見は果たして多くの女性の支持するところだったのでしょうか。この紙上の論争はGHQの仕組んだものであるとか、GHQに迎合する新聞社の意図に副ったものだった可能性があると思います。

平成12年10月7日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ