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「花岡事件」、司法の領域から逸脱した裁判所

 東京高裁で「花岡事件」の和解が成立し、被告の鹿島は5億円を支払うことになりました。裁判所は「所感」を発表し、その中で、「20世紀がその終えんを迎えるに当たって、花岡事件がこれと軌を一にして和解によって解決することは誠に意義がある」と言っていますが、「花岡事件」は未解決の問題だったのでしょうか。

 中国は1972年に日本と国交正常化するに当たり、日中共同声明の中で、戦争賠償の放棄を宣言しました。花岡事件を含むすべての賠償問題は決着がついているはずです。民事事件の視点で考えれば、一審が判断したように時効が成立していることは明らかです。一体何が法的に未解決だったのでしょうか。

 今年9月21日、アメリカのカリフォルニア州で三井、三菱などの日本企業がアメリカ人元捕虜に強制労働の賠償請求で訴えられた裁判で、サンフランシスコ連邦地裁は日米両国間の戦争賠償の問題は、サンフランシスコ講和条約で解決済みであるとして、原告の請求を退けました。これがまっとうな判断だと思います。戦勝国側の裁判所ですらそう言って自国民の請求を退けているのに、日本の裁判所が同種の裁判で法を曲げて、自国民に不利益な和解をあえてするのは大変不可解です。

 花岡事件は確かに悲惨な出来事ですが、20世紀に起きた悲惨な出来事はこの事件だけではありません。悲惨なことはたくさんあったと思います。スターリンの大虐殺とか、日本人のシベリア抑留、苛酷な強制労働、中国の文化大革命とさまざまな事件がありました。それらの被害はいずれも闇から闇へと葬られ、20世紀内に解決どころか永遠に未解決のままで終わるでしょう。過去の悲惨な出来事のすべてが正義に基づいて賠償されてきたわけではありません。日本が関わった出来事だけをいつまでも未解決と言って追及するのは正当な理由がありません。

 今回の和解に関わった司法関係者すなわち裁判官、弁護士らは、20世紀に起きた事件を20世紀中に解決できたと言って、その意義を強調していますが、日本の司法関係者は20世紀中に日本人が被害を被った悲惨な事件について、20世紀中に解決する努力を何もしていません。シベリア抑留では悲惨な状況で多くの日本人が命を落とし、第二次世界大戦のB、C級戦犯の裁判では多くの無実の日本人が処刑されたと言われています。それらの人々の名誉回復や補償の請求について、日本の司法関係者は何の行動も起こしていません。彼らの正義とは、結局は日本を断罪する目的の範囲内の正義でしかないと思います。

 和解の内容が、訴訟当事者以外の者に対する補償にまで及んでいる点や、裁判所がわざわざ「所感」を述べ、「・・・勧告する過程で、戦争がもたらした被害の回復に向けた諸外国の努力の軌跡とその成果にも心を配り、・・・」とか、「日中両国と両国民の相互の信頼と発展に寄与するものだ」と、政治的な意義に言及している点を見ると、この裁判は司法の領域を逸脱した政治裁判であったと思います。

平成12年12月3日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ