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アメリカはなぜ国際刑事裁判所に消極的になったのか

 国際刑事裁判所の設立をめぐる国際会議で、アメリカが裁判所や検察官の権限に制約を課し、活動を制限しようとしています。自らを正義の基準とし、世界の警察官のごとく振る舞い、人権の擁護と戦争犯罪者の処罰に人一倍熱心だったアメリカがここへ来て、にわかに消極的になってきたのはなぜでしょうか。それは、この裁判所ができれば、アメリカ一国が正義を振りかざすというようなことができなくなり、場合によっては自らが訴追の対象になりかねないことに気づいたからです。自らが訴追され、処罰されることなど思ってもいなかったのに、裁判所の設立でその可能性が現実のものとなってあわてているのです。

 アメリカが今まで訴追の対象にならなかったのは、決して正義にもとる行為がなかったからではありません。国際的な常設の裁判所や検察官がないので、強大な武力と経済力を持つ国アメリカの軍人や政治家を逮捕し、処罰したり、経済制裁を科したりすることが不可能であったからに過ぎないのです。アメリカは今後中南米諸国に独自に海兵隊を送ったり、単独で経済制裁を科すなどの身勝手な行動を正当化できなくなるのです。

 日本が第二次世界大戦で敗れたあとの東京裁判(極東国際軍事裁判所)の時は、訴追されたのは日本の軍人だけで、日本側がいくらアメリカをはじめとする連合国軍の非道を訴えても、「この法廷は日本を裁くもので連合国を裁くものではない」の一言で退けられ、それに屈せざるを得ませんでした。当時このような常設の裁判所があったならば、我が国の軍人だけが捕虜虐待の汚名を着せられることはなかったと思います。

 アメリカが主張している、国際刑事裁判所を国連安全保障理事会とリンクさせようという考え方は、司法を政治でコントロールしようとするもので、司法の独立と相容れない考え方です。裁判所は全ての当事者(国家、国民)を平等に扱うものでなければならず、特定の国(安全保障理事会常任理事国)を特別扱いするような裁判所は裁判所の名に値しません。東京裁判が裁判の名に値しない、報復裁判、報復の儀式であったのと同様です。裁判を政治でコントロールしようとするのは、アメリカが非難してやまない中国などの人権抑圧国家の考え方です。今回の会議ではアメリカと中国が歩調を合わせて条約の骨抜きに回り、最終的に条約案そのものに反対しました。人権の守護者を自認している国と人権の抑圧者が同一行動をとったことに注目すべきであると思います。

 国際刑事裁判所を設立するための条約案は、「裁判所は条約発効以前の犯罪については審理できない」という、裁判として当然のことが明記されています。この裁判所と比較することによって、遡及裁判どころか罪刑法定主義を無視して「戦犯」を処刑した東京裁判の違法性が浮き彫りになることを期待します。また、今回の条約最終案では核兵器などの大量破壊兵器の使用が戦争犯罪の列挙から除かれましたが、核兵器の使用が戦争犯罪であるという考え方が徐々に強まってきていることは心強く感じます。連合国が一方的に日本を犯罪者として断罪した、東京裁判の見直しにもつながると思います。

 この条約は7年後に侵略の定義も確定するとのことです。今まで多くの人が試みながらできなかったことが果たしてできるのでしょうか。どんな定義ができるのでしょうか。大国の行為は見逃し、小国の地域戦争のみが侵略とされることのないよう明快で公平な定義をすべきです。ソ連のチェコ侵入やアフガニスタン侵入は侵略に該当することになるのでしょうか。朝鮮戦争やベトナム戦争はどうなるのでしょうか。過去のことは処罰できないにしても、その意義は大きいと思います。

平成10年7月23日     ご意見・ご感想は   こちらへ      トップへ戻る      F目次へ