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「村山談話」の価値

 9月6日の朝日新聞は一面トップ記事で、小泉首相の北朝鮮訪問に関して、「日朝、補償は経済協力」、「共同宣言案概要」と言う見出しで、次のように報じていました。

 
「・・・植民地支配への謝罪については、日本側が『アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた』とした95年の村山富市首相(当時)談話の内容を書き込む」

 村山首相は1年7月の在任期間中、ほとんど何の功績も業績もなく、阪神大震災の対応で無為無策を露呈した政治家です。自民党を与党に復帰させると言うことだけが役目であった、傀儡政権のような政治家です。現在も将来も、政治家として業績を評価されることは全くないと思います。

 そういう人物が言った一つの「談話」に、一体、何ほどの価値があるのでしょうか。彼はそのほかにもいろいろなことを言ったと思いますが、それらのものは誰も見向きもしていません。彼が尊敬される人物で、彼の著作や演説が「村山語録」として高く評価されているならともかく、何も評価すべきものがない取り柄のない政治家の、この発言だけが燦然と輝くなどと言うことがあるのでしょうか。彼以外の歴代首相も終戦記念日に当たってはいろいろなことを言ったと思いますが、「○○談話」などと言って振り返る人はあまりいません。

 もとより終戦記念日の「談話」などと言うものは、法律でも、条約でも、決議でも、外国政府に対する約束でもなく、そこに盛られている歴史観は将来の日本政府を拘束するものではないと思います。「談話」がいつの間にか政府の公定見解であるかのように一人歩きをしてはならないと思います。

平成14年9月8日     ご意見・ご感想は こちらへ     トップへ戻る     目次へ