F62
風化する「12月8日」

 今日、12月8日は日米開戦の日です。しかるに、新聞紙面を見渡してもこれに触れている記事は全く見られません。新聞紙面を見る限り、「12月8日」は、完全に風化してしまったと言わざるを得ません。「12月8日」は、日本国民にとって風化させてよい歴史なのでしょうか。

 一方、8月15日の「敗戦記念日」は、62年経過した今も衰えることなく毎年盛大に各種記念行事が催され、新たな「史実」が発掘されては、「戦争の悲惨さ」が繰り返し報じられています。「開戦」と「敗戦」は、どちらも過去の出来事で、「ニュース」ではありませんが、マスコミの取り扱いの極端な違いは何を意味しているのでしょうか。

 必敗の日米戦争になぜ突入してしまったのかを顧みることは、日本国民にとって極めて重要なことで、いくら議論してもしすぎることはないと思います。反対に、敗戦の悲惨さだけを繰り返し強調するのは、単なる感情論で建設的な議論ではありません。悲惨な敗戦を繰り返さないためにも、なぜ開戦に至ったかを振り返ることは極めて重要なことのはずです。

 このような報道は日本国民に、なぜ日米開戦に至ったかの思考を停止させ、史実を忘れさせ、敗戦の悲惨さだけを脳裏に焼き付ける結果になります。それは日本国民に対する「洗脳」に他なりません。なぜ彼らはそうするのでしょうか。
 彼らは「日米開戦」について、議論が展開されることを好まないからだと思います。そのような議論は、東京裁判が認定した事実を覆しかねないからだと思います。

平成19年12月8日   ご意見・ご感想は   こちらへ    トップへ戻る   目次へ