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劣化する日本人と、その現実を隠蔽する人たち(ひきこもり70万人 予備軍も155万人 内閣府推計)

7月24日の読売新聞は、「ひきこもり70万人 予備軍も155万人 内閣府推計」と言う見出しで、次のように報じていました。
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家や自室に閉じこもって外に出ない若者の「ひきこもり」が全国で70万人に上ると推計されることが、内閣府が23日に発表した初めての全国実態調査の結果から分かった。将来ひきこもりになる可能性のある「ひきこもり親和群」も155万人と推計しており、「今後さらに増える可能性がある」と分析している。

 調査は2月18?28日、全国の15?39歳の男女5000人を対象に行われ、3287人(65・7%)から回答を得た。

 「普段は家にいるが、自分の趣味に関する用事の時だけ外出する」「普段は家にいるが、近所のコンビニなどには出かける」「自室からは出るが、家からは出ない」「自室からほとんど出ない」状態が6か月以上続いている人をひきこもり群と定義。「家や自室に閉じこもっていて外に出ない人たちの気持ちが分かる」「自分も家や自室に閉じこもりたいと思うことがある」「嫌な出来事があると、外に出たくなくなる」「理由があるなら家や自室に閉じこもるのも仕方がないと思う」の4項目すべてを「はい」と答えたか、3項目を「はい」、1項目を「どちらかといえばはい」と回答した人を、ひきこもり親和群と分類した。

 その結果、ひきこもり群は有効回答の1・8%、親和群は同4・0%で、総務省の2009年の人口推計で15?39歳人口は3880万人であることから、ひきこもり群は70万人、親和群は155万人と推計した。
 ひきこもり群は男性が66%と多く、年齢別では30歳代が46%を占めた。一方、親和群は女性が63%を占め、10歳代の割合が31%と高かった。
 ひきこもりとなったきっかけは、「職場になじめなかった」
「病気」がともに24%で最も多く、「就職活動がうまくいかなかった」が20%で続いた。
   
 ◆増加に危機感「定義」広げる(解説)
 今回の調査は社会的自立の度合いに着目し、「趣味に関する用事の時だけ外出」(推計46万人)とした人もひきこもりに分類した。これを除く「狭義のひきこもり」(同24万人)が、厚生労働省が5月に公表した「ひきこもりの評価・支援に関するガイドライン」の26万世帯(推計)に相当するとしている。定義を広くとったのは、今後さらに増えるとの危機感からだ。

 調査の企画分析委員の座長を務めた高塚雄介明星大教授(心理学)は「『ひきこもり親和群』は若者が多い。そうした若者が社会に出て、辛うじて維持してきた友人関係が希薄になったり、新しい環境に適応できなかったりして、『ひきこもり群』がじわじわ増える」と警鐘を鳴らす。
 内閣府は調査にあわせ、自治体や学校への支援の手引書をまとめた。家庭、学校、地域社会が、人ごとでないとの意識で連携する必要がありそうだ。(政治部 青木佐知子)
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引きこもり、不登校、いじめ、少女売春(援助交際)・・・。戦後の日本で社会現象となった若者の病める現象は、重大化の一途をたどっていると思います。

 今回の読売新聞の記事に限らず、新聞はこれらの問題をかなりの紙面を割いて報じていますが、これらの社会問題に対する報道では共通した特徴があります。
 それは、問題となっている社会現象を
「大変だ、大変だ!」と報じるだけで、なぜ引きこもりが増えたのか、いじめが増えたのか、少女売春(援助交際)が増えたのか、その原因を探ろうという姿勢が全く見られないことです。
 一見すると真剣に取り組んでいるかのようですが、なぜ、引きこもりが生じるのか、増加するのかという
根治に向けての取り組みはなく、対症療法の必要性のみを論じています。これはいじめの増加に対する姿勢と全く共通です。

 一応、
原因として「職場」「病気」「就活」をあげていますが、病気や失業は昔からあったもので、しかも日本に限りません。それにもかかわらずかつての日本になかった、又、諸外国では見られない、「引きこもり」なる現象がなぜ現代の日本に発生したのでしょうか。

 彼らがこの問題の本質を直視しようとしないのは、
直視すれば、この問題は戦後の日本はやはり何かが間違っていたのではないだろうか、と言う疑問に行き着くからだと思います。敗戦後の日本は確かに物質的には豊かになった、しかし、それ以上に大事なものを失ったのではないだろうか、私にはそういう疑問が生まれます。しかし、新聞記者はそのような問題の本質を直視したくはないのです。

 「家庭、学校、地域社会が、人ごとでないとの意識で連携する必要がありそうだ」などは、全く意味のない、中身のない提案で、何も言わないのと同じです。国民の目が問題の本質に向かないようにすることだけが目的としか考えられません。
 国民は皆深刻な事態と認識していると思います。
「人ごと」のごとく論じているのはこの新聞記者の方です。

 
戦後の日本はやはり何かが間違っていた。戦前の日本には現代の日本には失われてしまった良いものがあった・・・。戦後の民主主義の旗手達は、なんとしても自己否定につながるこれらの認識を阻止したいのだと思います。彼らにとっては日本の将来を案じるよりも、そのことの方が関心事なのだと思います。

平成22年8月2日   ご意見ご感想は こちらへ   トップへ戻る    目次へ