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“慰安婦”問題の本質を避けて、橋下市長の揚げ足取りだけをしている大阪市議会の問責決議案


 5月31日の読売新聞は、「二足のわらじ 裏目 橋下市長 求心力低下 市政停滞」(解説)と言う見出しの解説記事で、次のように論じていました。
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 橋下徹大阪市長への問責決議案が市議会本会議で可決される見通しから、一転、否決されたのは、共に大阪維新の会、日本維新の会を率いる盟友・松井一郎大阪府知事が、橋下氏の出直し市長選という「伝家の宝刀」を振りかざし、可決の流れを封じ込めたからだ。なりふり構わない火消しだが、火種が消えたわけではない。・・・
(中略)
 いわゆる従軍慰安婦問題などを巡る一連の発言は、市政とは関係のない外交・安全保障を巡る国政政党の政治家としての見解だ。しかし、影響は国政レベルにとどまらず、「大阪市の顔」を併せ持つ橋下氏の米国視察という市長公務が断念に追い込まれるなど、市政の停滞を招いている。・・・
(中略)
 この日、否決されたとはいえ、問責決議案が「市長としての職責を全うしているとは言い難い状況だ」と指摘したのはもっともだ。
 市長の政治力を傷つける問責決議は回避できたものの、橋下氏の発言が引き起こした混乱はまだ収まっていない。元々、今回、出直し市長選に大義名分はなく、より大きな政治的混乱で自らの失点を覆い隠す奇手でしかない。(社会部 池口次郎)

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〈大阪市議会の問責決議案〉
 去る5月13日、市役所内における記者の囲み取材での橋下市長の発言があって以降、その後の市長の発言を含めて、国内はもとより諸外国からも様々なメディアを通じ抗議、反論が相次いでいる。
 大阪市政と関係のない一連の発言に対して撤回、謝罪を求められているにもかかわらず、5月27日に「米軍、米国民を侮辱することにつながる不適切な表現だった」と米軍、米国民には発言の撤回、陳謝したものの、大阪市民に対する謝罪は一切ない。市民に対する誠意が全く感じられない。市長でありながら、市政を大きく混乱させており、すでに深刻な国際問題にまで発展しつつあることはゆゆしきことである。
 また、6月に予定されていた姉妹都市として50年の歴史のあるサンフランシスコ市への視察も中止せざるを得ない状況になるなど、本市の国際交流の歴史を傷つけたばかりでなく、市長が掲げた経済戦略政策である大阪観光局の外国人観光客倍増計画などへの影響も避けられない。
 さらに、今後、アジアをはじめ世界各国とつながりを持つ市内中小企業や市民生活にも影響が及びかねない。
 本市において課題が山積し重要な局面を迎えている今日、市長としての職責を全うしているとは言い難い状況であり、市長という公人の立場での発言には明らかに責任問題が伴うことを自覚すべきである。
 ついては、市長は今般の事案を猛省し、自ら政治的責任を自覚した言動をされることを強く求める。
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 確かに“慰安婦”問題は大阪市政に直接関係のある問題ではありませんが、一政治家として国民の関心事、日本にとって
重要な問題に意見を述べるのは必要・有益というべきす。
 何も言わない市長よりは政治家として誠実とみるべきです。たとえそれがどのような見解であろうとも。市政に直接関係ないことを発言したという非難は不当です。

 もし、彼が
慰安婦に謝罪と賠償をすべきだ」と発言したら、朝日新聞以下の反日マスコミは彼を褒め称え、その結果市政がいかに混乱しようとも、決して問責決議が野党から提出されることはなかったでしょう。このような“混乱”を口実にした非難は欺瞞です。

 彼を批判するのであれば、慰安婦問題の本質に言及すべきです。
慰安婦制度は“性奴隷”なのか、日本軍による拉致・強制連行があったのか、日本は謝罪と賠償をすべきなのか、諸外国に慰安婦類似の制度はなかったのか、それについてはっきり見解を主張した上で橋下市長を批判すべきです。それを素通りして、橋本発言にに付随して生じた混乱だけを取り上げ、それを針小棒大に拡大して非難するのは姑息であり、卑劣極まります。

 “諸外国”の中にはこの問題について、わが国の説明に一切耳を貸さず、何を言っても
“妄言”の一言で、確信的に誤解する国があります。誤解と混乱が生じたのは橋下市長の責任ではありません。それが“国際問題”になろうともそれを恐れて沈黙することは許されません。

 彼等がこのような間の抜けた問責決議しか出せず、読売新聞も間の抜けた批判記事しか書けなかったのは、
橋下市長の弁明に対して、有効な反論ができないからだと思います。

 今回の問責決議否決の中で、もし批判されるべき者がいるとしたら、それは自民、民主の決議案と内容が全く同じ決議案を独自に提出した公明党でしょう。しかるに読売新聞はそれを批判せずに「出直し市長選挙」を打ち出した橋下市長を批判しています。

 市長が問責決議案を提出された時に、可決されれば
出直し選挙をして市民の信を問うというのは、民主主義としてきわめて真っ当な対応です。有権者は市長と議会のどちらを支持するか選挙で決するのが民主主義の王道です。
 読売新聞がそれを非難するのは、問責決議が必ずしも市民の多数意見ではないことを知っているからだと思います。民主主義の実践により、マスコミの主張が市民の多数意見でないことが白日の下にさらされるのを恐れているのです。

平成25年6月2日   ご意見ご感想は こちらへ   トップへ戻る    目次へ