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集団的自衛権の問題は、単なる内閣の憲法解釈の問題であり、「国是」の問題ではない


 6月14日の朝日新聞デジタル・ヘッドライン <digital-news@asahi.com>は、「今日のトピック 自民党が集団的自衛権を使えるようにするための新しい『3要件』を公明党に示しました。日本が長年、国是としてきた『専守防衛』はどこへ行くのでしょうか」、と言う見出しで次のように読者にメール送信して報じていました。
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━━━ 今日のトピックス
 自民党が集団的自衛権を使えるようにするための新しい「3要件」を公明党に示しました。日本が長年、
国是としてきた「専守防衛」はどこへ行くのでしょうか。
http://news.asahi.com/c/afoJcz69nUp2gOa4

自民案、9条を逸脱 武力行使3条件、閣議決定案の柱 集団的自衛権
2014年6月14日05時00分

集団的自衛権をめぐる考え方

 自民党は13日、集団的自衛権を使えるようにするため、自衛権発動の新しい前提条件(新3要件)を公明党に示した。安倍晋三首相がめざす集団的自衛権行使を認める閣議決定案の柱となる。公明の山口那津男代表も同日、「合意をめざしたい」と述べ、限定的に行使を容認する方向で党内調整を始めた。憲法9条の下で専守防衛に徹してきた日本だが、この枠組みが外れることになる。▼2面=抜け道だらけ

 これまで自衛権は、憲法9条のもと日本が直接攻撃を受けた時にだけ反撃できる「個別的自衛権」に限られ、その発動の3要件の一つが「我が国に対する急迫不正の侵害がある」ことだった。

 だが、自民党の高村正彦副総裁が13日の与党協議で示した「新3要件」では、「他国に対する武力攻撃が発生し」た時も自衛権を発動できるとし、集団的自衛権の行使容認を明確にした。

 加えて自民は新3要件の一つに、
1972年の政府見解で示された「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがあること」との文言も盛り込んだ。公明がこの72年見解を踏まえ、集団的自衛権を狭く限定する形での容認を検討していることから、公明の理解を得やすくする狙いがある。しかし、72年見解は「集団的自衛権の行使は憲法上認められない」と結論づけており、都合のよい部分だけを切り取ったに過ぎない。

(中略)

 ■参戦の道、歯止めきかぬ

 《解説》自民党が提示した新3要件は、日本を守る場合に限って武力を使うことを認める「専守防衛」という、戦後日本が長年にわたって守ってきた基本方針を事実上放棄するものだ。新3要件が適用されれば、日本は自分の国への攻撃がなくても、ときの政権の政治判断によって、他国どうしの戦争に参戦できるようになる。

 日本は先の大戦の反省を踏まえ、これまでの3要件では、日本を防衛する目的であっても自衛隊の出動を厳格に抑制してきた。武力行使が可能となるのは、自国が直接攻撃される「急迫不正の侵害」という明確な基準を設けた。さらに、政府は武力行使が可能となる具体的な場面を国会答弁などで例示してきた。

(中略)

 ◆自民党が集団的自衛権を行使するのに必要とする自衛権発動の「新3要件

 憲法第9条の下において認められる「武力の行使」については、
 (1)我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがあること
 (2)これを排除し、国民の権利を守るために他に適当な手段がないこと
 (3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
 という三要件に該当する場合に限られると解する。
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 1972年田中内閣の自衛権についての憲法解釈、その後の1975年の三木内閣当時の内閣法制局による集団的自衛権に関する憲法解釈は、あくまで内閣の解釈であり、国民投票の結果でも、議会の議決によるものでも、各党の合意によるものでもありません。もちろん裁判所の判決でもありません。内閣法制局は内閣の一部局であって、いかなる意味でも憲法裁判所の役割を担っていません。

 集団的自衛権に関する、従来の
憲法解釈とはあくまでもその程度のものであり、憲法でも、法律でも“国是”でもありません。
 それにも拘わらず、朝日新聞が“国是”というのは、何か根拠があるのでしょうか。朝日新聞が死守すべきと考えているものはすべて“国是”と言うことなのでしょうか。

 反対論者の中には、解釈を変更するには
改憲手続きを踏むべきだと主張する向きがありますが、現行の解釈時には内閣法制局長の発言があるだけなのに、その解釈を変更するときだけ、なぜ改憲手続きが必要という理屈になるのでしょうか。

 憲法でも法律でも環境の変化や国民の意識の変化により改正の必要が出てくることは当然あることです。現在の世界情勢は、朝日新聞の言う1972年当時とは大きく異なります。必要なときは制定の時の規則により改正すれば良いのです。

 ところが憲法でも法律でもない単なる内閣の解釈などは、当然のことながら「改正手続きの定め」などはありません。無い場合はどうするかと言えば、制定したときと同じ手順に従い改正・変更すればそれで足りるのです。内閣法制局長官が解釈の変更を表明すればそれで足りるのです。“国是”云々、“憲法改正手続きが必要”云々は、変更に反対する者の、こじつけ、屁理屈に過ぎません。

 (別件ですが過日、
最高裁は非嫡出子の遺産相続割合について、憲法改正手続きを経ることなく、議会に諮ることもなく勝手に憲法解釈を変更し、議会が制定した民法の一部を憲法違反と断罪しました。こちらの方は国民の代表である議会の判断を勝手に否定したわけですから、罪が重いと思います)

平成26年6月16日   ご意見ご感想は こちらへ   トップへ戻る    目次へ