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日本人はアメリカのケリー国務長官の原爆被爆地広島「慰霊」に沈黙で良いのか

 4月11日の朝日新聞は「核持つ国へ、ヒロシマの姿見て G7外相に被爆者ら思いと言う見出しで、次のように報じていました。」
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朝日新聞デジタル

核持つ国へ、ヒロシマの姿見て G7外相に被爆者ら思い
大隈崇、久保田侑暉 岡本玄
2016年4月11日13時50分

急きょ訪れた原爆ドームの説明板を読む
米国のケリー国務長官(右)ら=11日午後0時36分、広島市、中野晃撮影

 原爆投下から
71年。「被爆の象徴」の地に、核兵器を持つ米英仏の現職外相が初めて足を踏み入れた。主要7カ国(G7)外相会合に合わせた11日の平和記念公園への訪問。「ようやく実現した」「核廃絶への一歩にすぎない」。被爆者らはさまざまな思いで受け止めた。

 午前10時40分。全国から派遣された警察官が警戒するなか、
G7の各国外相らを乗せた車が広島市中心部にある平和記念公園に相次いで到着した。

 核兵器を保有する英国のハモンド外相とフランスのエロー外相らに続き、米国のケリー国務長官が姿を見せた。警護要員に囲まれたケリー長官は湯崎英彦・広島県知事と松井一実(かずみ)市長と握手したあと、午前8時半の開館時間が午後にずらされ、内部が外から見えない措置がとられた広島平和記念資料館へ向かった。

 約1時間後、資料館の視察を終えた外相たちは各国の旗を持った小学生約800人の歓迎を受けながら、原爆死没者慰霊碑へ。全員が一列に並んで花輪を手向け、予定になかった原爆ドームにも足を運んだ。

 2歳の長男と公園を訪れていた主婦の坂本弘美さん(28)=広島市安佐南区=は、子どもの成長時に「核兵器のない世界」が実現していることを願っているという。「外相らは核廃絶へ真剣に話し合ってほしい」

 公園には米国人の姿も。テキサス州から観光で来ていたエンジニアのホセ・ガルシアさん(24)は初の広島訪問。「広島に来て、核兵器はすぐになくさないといけないと思った」というガルシアさんは「原爆の被害を自分の目で見ることはとても大切。実際に見て体験することが彼らの考えを変えるかもしれない。米国のオバマ大統領も訪れるべきだ」と話していた。

■キノコ雲の下に命

 各国外相らの姿を被爆者はどう受け止めたのか。

 原爆死没者慰霊碑への献花と原爆ドームを回る様子を遠目に見守った箕牧智之(みまきとしゆき)さん(74)は「今までなかったことなのでうれしい。ケリー長官は『核の怖さ』を実感しただろうか。気持ちを米国に持ち帰り、原爆投下を正当化する世論を改めてほしい」と語った。

 「核兵器は使われてはならないという思いにつながるはず」。爆心地から2・8キロの自宅で被爆し、12歳の姉の遺骨が見つからなかった岡田恵美子さん(79)は言った。外相らが回った広島平和記念資料館には1発の爆弾で命を奪われた子らの制服や弁当箱も並ぶ。「キノコ雲の下に、名前のある一人ひとりの命があったことを知ってほしい」

 岡田さんは2008年の北海道・洞爺湖サミットの際、首脳らに被爆地訪問を求める手紙を送っていた。ようやく公園の訪問は実現したが、各国外相が被爆者の証言を直接聞く機会は設けられていない。「次に日本でサミットが開かれるまで被爆者は待てない」。被爆者の平均年齢が80歳を超えた今、岡田さんは伊勢志摩サミットが終わるまで望みを捨てないつもりだ。

 国重昌弘さん(85)は6年前に「原爆の悲惨さを伝えることが使命」と考え、証言を始めた。3月にあったプレイベント「青少年外相会合」では、各国の子どもたちの関心の高さを感じた。「何千発もの核を持つ国に『1発でもこうなる』という広島の現実を知ってもらうとともに、各国首脳の訪問にもつながれば」。国重さんは願った。(大隈崇、久保田侑暉)

■外相夫人に体験語る

 各国外相に同行している夫人らも被爆の実相と向き合った。外相に先立って、10日には日本、英国、フランス、イタリア、カナダの外相夫人が平和記念公園を訪問。広島平和記念資料館を見学した後、原爆死没者慰霊碑に献花した。

 さらに、爆心地から約1・5キロで被爆して顔などに大やけどを負った被爆者の池田精子(せいこ)さん(83)=広島市安芸区=の証言に夫人らが耳を傾ける場も非公開で設けられた。同席した広島平和文化センターの小溝泰義理事長(68)によると、夫人らは約20分間、熱心に聴き入ったという。

 周囲から「赤鬼」「おばけ」と心ない言葉をかけられたこと、手術を15回受けたが元には戻らなかったこと、昨年になってようやく友人が原爆症と認められたこと……。池田さんは被爆後の生活について「肉体の苦痛に加え、精神的に苦しんだ青春時代でした」と振り返った。

 そのうえで、「原爆という悪魔は70年たっても追いかけてきます。世界のどこにも再び被爆者をつくってはいけない。核戦争に勝者も敗者もないんです」「被爆者の沈痛な叫び、願いをご主人に伝えてください」と訴えた。体験を聞いた夫人たちは「感動しました」「夫に伝えます」と池田さんに声をかけたという。

 夫人たちへの証言を終えた池田さんは取材に「誠意を持って受け止めてくれたと感じました」。小溝理事長は「外相を支える立場の夫人が被爆の実相を見たり聞いたりして感じたことは将来の平和を築く原動力になる」と期待した。(岡本玄)

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 〈平和記念公園〉 被爆当時は繁華街で、約6500人が暮らしていたと推定される。原爆投下から4年後の1949年に制定された広島平和記念都市建設法に伴って原爆死没者の慰霊と恒久平和を祈る都市公園(約12万平方メートル)への再生が決まり、56年に完成した。世界遺産・原爆ドーム、原爆死没者慰霊碑、原爆の子の像、広島平和記念資料館などがある。広島原爆の日の毎年8月6日に平和記念式典が開かれ、現在は国の名勝。
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 報じられている限りでは、各種被爆者団体をはじめとする、日本人による
抗議行動は全くなかったようですが、それで良いのでしょうか。アメリカ以外の国は別としても、アメリカの国務長官慰霊沈黙していて良いのでしょうか。

 
無差別大量殺戮になぜ抗議の意志表示をしないのでしょうか。戦後71年も経過して、しかも他の諸国と集団で訪問するのは、明らかにほとぼりが冷めるのを待っていたのと、日本人の視線を一身に浴びないようにと考えた上でのことだと思います。
 

 被爆者やその遺族も
時間の経過により感情が和らぐと言うことはあるかも知れません。それも一概に批判はできません。
 しかし、多くの被爆者やその二世達は、
日本政府を相手にした被爆者援護法の適用を巡る争いでは、時間が経過しても感情が和らぐどころか、ますます行動が過激になってきています。
 彼等はもはや
お金にしか関心が無いように見えますが、それで良いのでしょうか。

 6年前に当時のルース駐日アメリカ大使が、広島原爆の日に参列して以来、
アメリカは周到に日本国内の動きを見極めた上での今回の行動だと思います。日本国民はものを言う絶好の機会を見逃してしまいました。今後もしオバマ大統領が広島を訪れるようなことがあれば、必ず一矢を報いる必要があると思います。

 
日本政府が意思表示をすることが困難なことでも、被爆者団体、一般国民には十分可能です。それは現代に生きる日本国民の義務だと思います。

平成28年4月11日   ご意見・ご感想は こちらへ   トップへ戻る   目次へ