G17
諸悪の根元は悪平等と身分保障

 10月8日の読売新聞は、「続 問題教員」という連載記事で、「人物重視の採用模索」という見出しで、次のように報じていました。

 「生徒へのセクハラや援助交際のうわさがあるのですが、−−−。・・・女子中学生に手錠をかけて車に監禁、監禁致死罪で起訴された元中学教諭福本謙被告(34)が勤務していた兵庫県香住町立香住第一中学で、複数の生徒が教師に訴えた。しかし、事実究明はされなかった。・・・」
 「教師の適性を入り口で見抜こうと、各自治体の採用試験は、より人物重視に変わりつつある」
 「・・・一方で、『短時間で本質を見抜くのは至難の業』・・・との声が少なくなかった」
 「奥村誠一・都教育庁選考課長は『様々な工夫はしているが、“セクハラ教師を排除できるか”と言われるとYESと即答できないのがつらい』とうち明けた」


 教師の採用時の選別は至難の業といっていますが、1回の、あるいはせいぜい2〜3回の面接で、人を見分けることなどは元々できっこないのです。何度面接しても、集団面接で討論をさせてみても、口だけで、あるいは言葉だけで、教師としての適否を100%見分けることは不可能です。採用試験をパスした人間の中に、教師には不適格な人物が混入してしまうことはどうしても避けられません。採用試験には元々限界はあるのです。これは、全ての採用試験について言えることで教師の採用試験に限りません。

 問題はそのあとです。現在の教師の人事管理制度には、有能な者と劣る者を選別したり、不適格であることが発覚した人間を排除するシステムがありません。混入してしまった不適格者を排除するシステムが不十分です。今回の女子中学生の手錠監禁事件でも、福本謙被告について生徒達からセクハラや援助交際の訴えがあったにもかかわらず、何の手も打たれずに放置されていました。

 不適格者を排除出来ない最大の理由は日教組が解雇に強く反対するからです。一度採用されたが最後、いかに無能であろうと、病気で休職が続こうと教師を解雇することは非常な困難が伴います。いつの間にか教師の身分は神聖不可侵のようになってしまいました。 また、日教組は主任制に反対していることに象徴されるように、信賞必罰を嫌い悪平等を堅持することを最大の目的にしています。その結果教師という職業は怠け者にとっては天国のような職場になってしまいました。民間企業の世界、自由競争の世界で生きていく自信のない人間、教師にしかなれない多くの人間が教師を目指すようになりました。教師という職業は問題人物のたまり場になってしまったのです。

 記事の最後で、昨春採用された公立学校の教師は、11,022人で、競争率は13.3倍と史上最高であったことが報じられていました。倍率が高いにも関わらず、教師の資質が著しく低下しているのは、応募してくる人物に元々問題があることを意味しています。なぜ、問題のある人間達が教師を目指すのか。それは、一度採用されてしまえば、あとは悪平等と身分保障の世界、怠け者の天国が待っているからです。その天国を目指すためには、彼らは3〜4年の浪人生活を厭わないのです。

平成13年10月9日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ