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30人学級への疑問

 6月5日の産経新聞に「30人学級への疑問」という父母からの投書に対して、「うがち過ぎな30人学級疑問」という教師からの投書がありましたが、30人学級への疑問は決してうがちすぎではないと思います。一学級の人数が少ない方がよりよいというのは本当に自明のことでしょうか。30人より20人、20人より10人の方がよいのでしょうか。少なければ少ないほど子どものためにいい、というものではないと思います。過疎地の学校が教育環境として最良のものとは思えませんし、個人授業が理想とも思えません。学校で問題が起きるのは、1学級の人数が多くて目が行き届かないのではなく、教師の資質の問題だと思います。それに人件費コストのことも考えなければなりません。現在出てきている30人学級の構想は教師の雇用確保と、教師の負担を軽くすることだけを第一に考えた発想であると思います。

 彼らが今まで
子どものためと称して主張し、かつ実現させてきた事は、ことごとく子どものためではなく教師自身のためであったといっても過言ではありません。たとえば、学校の週休二日は一体誰のためだったのでしょう。これを求めたのは教師であり、子どもの父母ではありません。教師の強い要望であることはひた隠しにされ、あたかも子どもの負担を軽くすることが目的であるかのような言い方がされました。それ以外にも、子どものためと称して教師が提案することはいつも、〇〇をしないこと××を止めることばかりで、何かをしようという提案は皆無です。夏の林間学校、臨海学校は止めよう、夏休みの宿題を出すのは止めよう、テストは止めよう、生徒の自主性に任せよう・・・。何もしないのが一番といわんばかりです。その代わりに何かをしようという提案は決してありません。その結果はいつも教師が楽になるだけです。

 産経新聞に連載されている「教育再興 白い『指導要録』」を見ても同じ事が言えます。もし彼らが指導要録を批判するなら
改善案を提案したり、それに代わるものを考えなければなりません。ところが彼らのしていることは、文字通り「白紙」、何もしない事でしかないのです。彼らには破壊と怠慢の発想しかないのです。

 自覚をもって四苦八苦しているとのことですが、職業であれば全力を尽くすのは当然のことです。四苦も八苦もしていない教師、自覚のない教師をいやと言うほど我々は見ているのです。学校と家庭の断崖の一端がかいま見られたというのなら、それはこの方の投書の効用です。教師を見つめる世間の目は、あなたがた教師が考えている以上に厳しいと言うことを知っていただきたいと思います。

平成10年6月5日     ご意見・ご感想は   こちらへ      トップへ戻る      G目次へ