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英語教育重視は日本の“フィリピン化”ではないのか −英語教育重視が招く基礎学力の低下−

 3月26日の読売新聞は、「小学校教員の採用、34教委が英語力で優遇措置」という見出しで、小学校における英語教育に関して、次のように報じていました。
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小学校教員の採用、34教委が英語力で優遇措置
2017年3月26日6時5分 読売

 今年度の小学校教員の採用試験で、実用英語技能検定(英検)や
英語力テストのTOEICなどで一定の英語力が認められた受験者に加点などの優遇措置を取った教育委員会は、全国68都道府県・政令市などのうち34教委に上ることが文部科学省の調査でわかった。

 12教委は今年度から優遇制度を導入した。2020年度に小学校の英語が教科化されるのを前に、英語力の高い教員の獲得競争が本格化してきた。

 調査は教員採用を行う47都道府県と20政令市、1地区を対象に採用試験の実施方法などを尋ねた。

 それによると、福島県や静岡県、大阪府、長崎県など26教委は英検やTOEICなどの結果が一定水準の受験者に対し、1次試験や2次試験で加点を行った。加点は2点から30点まで教委によって幅があった。

 また、東京都や宮崎県など6教委は英語リスニング試験などを免除。愛知県と奈良県など3教委は英語力が高い人を優遇する特別選考を行った。奈良県は加点も同時に実施した。

 福井県教委は今年度から、英検2級以上、TOEIC(最高点990点)540点以上などのレベルに応じ、1、2次試験(計700点)の成績に5〜15点を加点した。受験者411人のうち53人が対象になった。

 「英検1級」などの条件が厳し過ぎて応募者が集まらず、今年度から緩和した教委もあった。ある教委の担当者は「現場の英語力を高めるには時間がかかる。即戦力が欲しいというのが本音だ」と打ち明ける。

 20年度に実施する小学校の次期学習指導要領では、
歌やゲームで英語に親しむ「外国語活動」を現在の5、6年生から3、4年生に前倒しし、5、6年生では教科書を使った授業や評価を行う正式な教科になる。
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 私はこの記事を見て、以前ユーチューブで見た、「所さんの日本の出番 日本人の知らないニッポンを発掘 日本人はナゼ英語が苦手なのか?」を紹介する、「日本語は素晴らしい、有色人種で唯一の先進国になった要因ここにあり
 https://www.youtube.com/watch?v=3Sg2KmEBrqs&t=38s と言う動画を思い出しました。
 そしてそれを文書化したものと思われる下記サイト
「日本人が英語が苦手な理由に迫る!」を見つけましたので、以下に抜粋してご紹介いたします。
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http://eigokoryaku.com/study/study_53.html
日本人が英語が苦手な理由に迫る!

英語が苦手

 先日「所さんのニッポンの出番」という番組の中で、「日本人が英語が苦手な理由とは? その意外な真実に迫る! そこには誰もが知っているあの偉人が深く関わっていた!」と題して日本人はなぜ英語が苦手なのか? という難題が取り上げられていましたので、その概要についてご紹介したいと思います。

■日本人の英語の実力は?

 2013年国際成人力調査(PIAAC)というものの中で、「読解力」及び「数的思考力」については、日本人が世界第1位だったそうです。(経済協力開発機構調べ)

 ところが、英語能力判定テストTOEFL(iBT)では、
アジア30か国中27位という何ともお粗末な結果だったとの事でした。

(中略)

1)フィリピンの場合

勉強する子供たち
 小学校1年生の
算数の授業風景を見てみると、授業は全て英語で行われている。フィリピンでは、算数・理科・パソコンも英語で教えるのが普通らしい。算数の教科書の中身を見てみると、日本の中学校レベルの英語力がないと理解出来ない。

 なぜ母国語で教えずに算数や理科を英語で教えるのというと、そもそも
フィリピンの言葉に存在しない単語があるからだそうだ。

 例えば、光合成 → Photosynthesis、染色体 → Chromosome などがこれにあたる。そのため、専門用語の説明には英語で教育したほうが都合が良いのだそうだ。

 また、
書店に並ぶ本も英語のものがほとんどで、英語が出来ないと就職時のハンディにもなる。これらが、フィリピンの英語力が高い理由である。

2)マレーシアの場合

 大学の物理は英語で学んでいるとの事。
 書店の8割の本が英語

3)インドの場合

 多民族国家のため、地域によって使用される言葉があまりにも違っており、英語が共通言語の役割まで担っているとの事。

■日本の場合はどうか?

 書店では日本語で書かれた高度な学術書が当たり前のように売られていて、大学生も
日本語で講義を受けることに何の疑問も感じていない。日本では、勉強もコミュニケーションも母国語である日本語だけで事足りるのである。このことは、アジアでは極めて珍しいことであるようだ。
 なぜこのような状況が生まれたのか?

 東京大学の前身である開成学校の明治6年当時の時間割を見てみると、
毎日、最後の授業として「翻譯(翻訳)」が設けられていた。これはいったいどんな授業なのか?

(中略)

 西洋の知識をより広く普及させるには、日本人の指導者を育成しなければならない、そのために設けられたのが、前述の
翻訳の時間だったわけです。

 しかし、翻訳といっても簡単なことではなかった。西洋の言葉の中には、当時の日本語には存在しない
イメージすることさえ難しい言葉が山のように存在したからだ。
 その当時、辞書はすでにいくつかあったが、そこに載せられた日本語はまだまだ未熟、そのまま使える状態ではなかった。

 そこで、
漢字に意味を加えたり中国の古典から探したり、時には造語をして新しい言葉をひとつひとつ作り出したのだそうです。そんな明治の新しい言葉作りのチャンピオンと言えるのが、福沢諭吉である。彼は、いち早く西洋文明を学びさまざまな翻訳をしたことで知られているが、その中には、今も日本人が使い続けているものも少なくない。

 そんな福沢諭吉が悩みに悩んだ言葉が、「
自由」彼は、「freedom」と「liberty」の訳を「自由」としたが、これを「わがまま」や「自分勝手」の意味にとらえられたくなかった。そのため、もう一つの言葉と最後まで迷ったそうです。

 それが、「御免」もし、福沢諭吉が「御免」のほうを選んでいたら、「自由の女神」は、「御免の女神」となっていたことになる。福沢諭吉をはじめ、
明治の知識人が作った新たな日本語は、西洋の文化と日本をつなぎ、それらが、もともと西洋由来の言葉とは思わないほどの日本人の言葉として定着した。

 
この技術こそが、日本と他のアジアの国との大きな違いである。現代の日本人は明治の人々が残してくれた遺産を無意識に使いながら、勉強し生きている。日本以外のアジアの国では英語が出来る人しか高等教育を受けられない
 日本では全ての国民がみな平等に大学へ行き、
日本語だけで世界で一番高いレベルの教育を受けることが出来る。

 例えば、2008年ノーベル物理学賞を受賞した
益川教授は、その記念講演でこう言った。
I'm sorry, I can't speak English.」 これには世界のメディアが驚いた。つまり、英語が出来なくても高度な物理学を日本語だけで学ぶ事が出来るのだ。

■結論
なぜ日本人は英語が苦手なのか?

 それは、明治のエリートたちが作った言葉の防波堤にこの国の人々が今も守られ続けているからではないでしょうか?
 大学レベルの知識まで自分の国の言葉で学べる国は、世界にそれほど多くはありません。
 つまりこれが結論です。→ この国で生きる
日本人に英語は必要ない
 ですが、未来はどうでしょう?
 今こそ日本の出番ではないでしょうか?
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 この英語教師優遇以前の問題として、小学生の英語教育の是非はもっと議論されて言い問題だと思いますが、ほとんど議論もなく、なし崩し的に実施されています。
 英文学・英文化の研究ではない、実用英語の勉強は、所詮学問(人間形成)と言うよりも、
勉強の手段を取得するに過ぎません。国語や算数、理科・社会に比べればその重要性は格段に劣ると思います。

 他方で、
IT技術の進歩により、文書や会話の自動翻訳技術は今後飛躍的に進歩すると見込まれ、実用英語の必要性は低下すると思われます。

 現在、将棋の世界では人間対ITの闘いが繰り広げられ、ITの優位が徐々に明らかになりつつあります。それと同様のことが言葉の世界、翻訳の世界でも実現することは必至であり、
人間の通訳よりもITの通訳の方が、正確・適切な翻訳をして人間を圧倒することは時間の問題だと思います。

 そうなった時に、慌てて生徒達に基礎学力特に国語の教育を詰め込み式に行おうとしても、もう間に合いません。
日本の子供は難しい本を読めなくなってしまいます。この英語教育のために犠牲になった、国語・算数・理科・社会は実用英語と違って、IT技術の進歩でカバーできません。

 人間にとって
言語はITで言えばOS(基本ソフト)に該当します。日本の小学生にとって、日本語すら未熟な段階で、別のソフト(英語)を学ばされることは大きな負担となります。
 かつて文科省が推進した「ゆとり教育」は深刻な学力低下を招きました。ゆとり教育は単なる学習の質・量の低下でしたが、
小学生の英語学習は単なる負担の増加に止まらず、二つの基本ソフトの並行学習による頭の混乱という、ゆとり教育とは比較にならない深刻な事態を招く恐れがあります。

 今の日本人は福沢諭吉のような努力をだれもしていません。
英語は翻訳されることなくカタカナに置き換えられるだけです。特に近年のIT用語(下記は一例)は大量に日本語に取り込まれていますが、全く翻訳されていないので、理解には多くの困難が伴います。英語教育よりも、日本語翻訳にもっと力を入れるべきです。それをしない小学生に対する英語教育の推進は、日本の“フィリピン化”に他ならないと思います。


           全く翻訳されないIT用語の一例


 現在の日本の学術水準が高いのは事実ですが、それをすべて明治の翻訳に帰するのは少し無理があると思います。それを可能にしたのは江戸時代からの識字率の高さに象徴される、一般国民の知的水準の高さであり、明治維新を可能にしたのはそれ以前からの要因を無視できないと思います。

平成29年4月15日   ご意見・ご感想は こちらへ   トップへ戻る   目次へ