G33
学校は誰のためにあるのか、教師の仕事を減らして他に転嫁したり、他の職員を増員するのを「働き方改革」というのか −日教組化する文科省−

 11月29日の読売新聞は、「登下校見守りや給食費徴収、学校以外が担うべき」という見出しで、次のように報じていました。
--------------------------------------------------------------------------------------------------
登下校見守りや給食費徴収、学校以外が担うべき
2017年11月29日7時50分 読売

 教員働き方改革を議論している中央教育審議会の特別部会は28日、児童生徒の登下校時の見守りや、給食費、教材費の徴収・管理などの業務は学校以外が担うべきだとする改革案をまとめた。

 12月に開かれる中教審総会などを経て、林文部科学相に報告される。

 改革案では、教員の労働時間を減らすため、学校の業務を教員が担う必要性に応じて分類した。

 「学校以外が担う」業務としては、登下校時の見守りなどのほか、放課後の地域の見回りや地域ボランティアとの連絡調整をあげた。

 文科省の抽出調査では、
登下校時の見守りに小学校教諭の約9割があたり、約4割が負担を感じている。そのため、自治体や保護者、地域が連携して対応する体制をつくるよう求めた。

 
給食費などの徴収・管理も、教員が放課後に未納の家庭を訪問するなど、負担を訴える声が強く、事務職員への移譲や、自治体が一括管理する「公会計」制度の導入を提案した。

 また、「必ずしも教員が担う必要のない」業務としては、
部活動校内清掃の指導など、「負担軽減が可能」な業務では、授業準備や学校行事の準備・運営を示した。部活動指導については、外部の人材の活用に加え、複数校による合同部活動や地域のスポーツクラブとの連携を求めた。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 これは「働き方改革」と言うよりも、
「教師の仕事減らし」というべきものであって、その種の議論をするのであれば、まず、学校とはどうあるべきかを議論するのが先ではないのでしょうか。狭義の教科、教科書を教えるだけで良いのか、生活指導、人格教育など幅広く教えるべきであるのか、そういう議論が先です。当然、その議論の下になるのは、生徒の為にはどちらが望ましいかの考え方であって、教師のためにはどちらが望ましいのかの考え方ではないはずです。

 更に、働き方改革とは働き方を工夫することによって、無駄を省き、他人の大きな負担増や犠牲を伴わずに残業を減らし、総体としての改善を果たすことであって、単純に
教師の仕事の一部を廃止して生徒に不利益や犠牲を招来したり、増員により他へ仕事の転嫁を図るだけのものではありません。それは「改革」の名に値しません。トータルで考えれば、ちっとも改革にはなりません。
 単なる教師の仕事の分担縮小、他への移管であって、「働き方改革」とは区別して議論すべきものです。
 この記事を読むと言っていることは、教師が楽をすることばかりで、
生徒のことを何も考えていません。

 さらに
仕事を減らすのであれば、当然賃金も減らすべきです。

 教師の仕事を減らして
他の職員を雇用するのであれば、教師の賃金は当然相当額を減額して新たに採用される職員の給与に充当されるべきです。
 
仕事が減っても賃金が変わらないなんて、労働時間制でないことを良いことに、そんな虫のいい話が許されるはずがありません。民間企業では「働き方改革」によって、残業時間が減り、給与が減額となるところが多数聞かれています。

 
給食、清掃、部活、学園祭などの学校生活・行事の一部は、日本の学校教育の特色として、外国からも高く評価する声があります。
 日本以外の学校では、
生徒が学校の清掃をすることはあまりないそうです。それを日本の学校が教育の一環として実施していることが海外で評価されています。
 
サウジアラビアでは、日本に倣って、学校で子供達に清掃をさせるようになったそうです。そうすることによって、子供達が教室を汚さないようになったそうです。これは立派な教育の一環であって、それを理解できない教師は学習塾の講師にでも転職すべきです。

 
給食費の集金についても、これは給食費に限らず(例えば納税)、集金期日を守らなければならないことを教える教育の一環と言えると思います。給食費を教師が集金しなくなった学校では、滞納が急増すると聞いたことが有ります。
 給食費を支払わなければならない、そういうことを教えるのも教育の一部で、教科、教科書を教えるだけが教師の仕事ではありません。

 教育を
狭義の学科、教科書にとどめず、部活や生活指導など広範囲に及び、広く子供に必要なことを学ばせるやり方が、日本の学校教育の特徴で、日本人の勤労観、勤勉さの源になっています。繰り返しますが学校は学習塾ではないのです。
 文科省の「教師の働き方改革」を実践していけば、やがて学校は塾と同じで、教科書を教えるだけの公立塾になってしまい、
日本の良き教育の伝統は全く失われてしまうでしょう。

 一番問題なのはこういうことを
日教組ではなく、文科省が言い出していることです。まさに文科省の日教組化であり、日本の教育行政の敗北、ひいては日本の崩壊と言って良いと思います。

 最近
日教組が表面的には大人しくなった様に見えるのは、文科省が日教組化して、日教組が騒がなくても用が足りているという実態があるからだと思います。
 事がここに至っては、文科省の病巣の根深さを再認識しなければならない事態であると思います。

平成29年11月30日   ご意見・ご感想は こちらへ   トップへ戻る   目次へ