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怠慢教師に対する処罰に反対する、教育業界 −背景にあるのは教育の「中立」がもたらした学校教育の劣化−

 4月11日の読売新聞は、「いじめ放置 『懲戒』規定削除」と言う見出しで、次のように報じていました。
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いじめ放置 「懲戒」規定削除
2019/04/11 05:00 読売

 いじめによる自殺などの再発防止策を原則公表させる議員立法
「いじめ防止対策推進法改正案」で、いじめを放置した教職員を懲戒処分対象とする規定の明記が見送られる見通しとなった。

 法改正を目指す超党派議員の勉強会座長を務める馳浩・元文部科学相が10日示した案では、
いじめ自殺といった重大事態が起きた場合、学校側がその後の取り組みを公表することなどを盛り込んだ。以前の案にあった教職員の懲戒規定は削除した。

 この規定をめぐっては、いじめ自殺者の
遺族が「手抜き対策を許さない法改正が必要だ」と支持する一方、教育界などが「現場萎縮いしゅくを招く」と反発していた。地方公務員法に基づく処分はできるため、与党内にも疑問の声が出ていた。
 勉強会は、超党派の議員連盟を設立し、今国会での改正案提出を目指す方針だ。
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 さて、
萎縮とは何でしょうか。私たちの社会でルールを守らせ、秩序を維持するためには違反者に対するペナルティーは不可欠です。性善説だけに頼っていては、社会は成り立ちませんし、説教だけでは秩序は維持できません。これは何も教育界に限ったことではありません。

 人によってはペナルティーにより萎縮する人もいるかも知れません。しかし、ペナルティーは本人のためにする
治療ではなく、社会のためにするものですから、萎縮する人がいるからと言って、ペナルティーを科さない訳にはいきません。それでは健全な社会は維持できません。

 違法行為・反社会的行為に対しては、ペナルティーが科せられるのが当然なのに、なぜ
教師だけ“萎縮”などの口実をもってそれを逃れられると思うのでしょうか。教師は特別なのでしょうか。ひょっとして“聖職者”だと本気で思っているのでしょうか。

 かつて教師に聖職者としての自覚、自負、責任感があったときは、そういう考え方もあり得たと思いますが、今や教師の関心事は“働き方改革”の名の下に、
生徒本人と父母をそっちのけで、自分たちが楽をすることを考えるだけに成ってしまいました。いじめ自殺事件が起きても、担任教師はおろか、(女性の時は)校長さえ記者会見もせず、姿形を現わさないという無責任ぶりが当たり前のようになっています。

 都合が良いときだけの
“聖職者気取り”は”受け入れられません。自分が悪かったと思うなら、萎縮から立ち直る努力が必要です。萎縮から立ち直れない人は教職を諦めて去って貰うほかはありません。

 次にこう言ういじめ自殺などの問題に口出しをする
“教育界”とは一体何でしょう。多分学校の教師、都道府県・市町村の教育委員会、大学の教育学部の教授達などの、教育業界のことを指していると思いますが、この問題をこれらの人達の意向で進めていって良いのでしょうか。
 
教育(学校)は一体誰のためにあるのかを考えなければなりません。言うまでもなく、学校は生徒・児童とその父母のためにあるのです。間違っても教師の生活ためにあるのではありません。

 教育に関しては、
文科省、各地の教育委員会、教育学者は、教師と同じ(教育)業界の人間で、審議会、有識者会議がこれらの業界の人間に牛耳られているのは、教育問題を業界関係者だけで決めるのに等しいく、消費者(児童・生徒とその父母、一般国民)軽視も甚だしいと言わなければなりません。
 いじめによる自殺という深刻な事態、
社会問題の、問題点の是正策を立案するに当たって、問題業界の関係者の意見だけで決めるようなことはあってはならないはずです。彼等は端的に言えば、いじめによる自殺事件において、“被告席”にいる人間なのです。
 なぜなら、いじめによる自殺事件は、加害・被害
生徒間の問題と言うよりも、教師の劣化、学校の劣化、ひいては日本の教育の劣化に起因する事件と言えるのです。

 彼等が教職員に対する“懲戒処分”を「いじめ防止対策推進法改正案」から除外する口実として、同様の規定が地方公務員法にあるとは言っても、それが
機能していなかった(いじめ放置を懲戒処分にしなかった)から、いじめが横行し多数の犠牲者が出ているのです。
 今ここで「いじめ放置」を、
罰せられるべき行為と改正法案に明記すれば、格段に処罰率が上がることが期待できます。
 それにも拘わらず、公務員法にあるからとか、
教師が萎縮するからと言う、言い訳になら無い言い訳で、法案を骨抜きにしようとする行為は許せません。

 このように
問題業界が周囲の声に耳を貸さずに、自分たちだけで、勝手に処分の方向を決めることがまかり通っているのは、「学問、教育の中立、独立」などの概念が暴走し、教育業界にあっては、一般社会の声を拒絶し、世間を気にすることなく、何でも自分たちだけで決めることが出来ると言う、風潮が蔓延していることが大きな原因だと思います。
 議員立法でありながら、
安易に業界団体の圧力に屈したのは大変残念です。

平成31年4月12日   ご意見・ご感想は こちらへ   トップへ戻る   目次へ