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「わいせつ教師」問題、教育委員会による教育の“独立・中立”が行き着いた所は、「学校・教育の荒廃」でしかない(その1)−腰が引けている萩生田文科相、厳罰に抵抗する人権印(じるし)の法務省−
12月22日のNHKテレビニュースは、「まさか先生が娘に…」と言うタイトルで、次の様に報じていました。
(茶色の字は報道、黒色の字は安藤の意見)
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まさか先生が娘に…
2020年12月22日 11時59分 NHK
「先生にどこを触られたの?」
母親はできるだけ平静を装って聞いた。
小学生の娘は自分の腹部を指して「パンツの中」と言った。
驚くほど無邪気に話す娘は、性被害を受けた意識どころか触られたことの意味もわかっていなかった。
(政治部・木村有李、馬場直子、仲秀和)
娘が性被害に…
都内で暮らす女性の娘は、担任の男性教員から性被害を受けていた。
当時、小学3年生だった。
ことが発覚したきっかけは、同級生の母親から届いた「LINE」のメッセージだ。同じように被害を受けていた同級生が「ほかの子も触られていた」と打ち明け、その中に娘の名前があった。
娘は、学校の様子や友達のことなど何でも話してくれている。母親はそう思っていたが、男性教員に下着の中に手を入れられたことは口にしたことがなかった。
「きっと話したくない事情があったのだろう」と、娘の気持ちをおもんぱかった。
まるで愛情表現のように
娘に話を聞くと、被害者が複数に上ることがわかった。
実態は母親の想像を大きく越えていた。
問題の男性教員は昼休みや放課後、教室内の教員の机にクラスの女児を呼び出すと「きょうの勉強を頑張ったね」などと声をかけながら、下着の中に手を入れていたという。
驚くことに、クラス内の多くの女児が被害にあっていたため、同級生は男性教員に呼び出された女児が何をされていたかわかっていたという。
その中でも娘は、ほぼ毎日のように被害を受けていたのだった。
母親がその時の心境を語る。
「まさかうちの子が。本当に信じられませんでした。性的な意味がわからない子どもたちに教員はほめることばをかけながら、まるで愛情表現のようにやっていた。だから娘はいまだに教員を悪くは言いません。信頼関係を逆手に取った行為でした」
最も安全と思っていた学校での性被害。
教員は懲戒免職となった。増える教員のわいせつ行為。児童・生徒への「わいせつ事案」は、近年増加傾向にある。
平成30年度に全国の公立の小中学校や高校などでわいせつ行為などにより処分された教員は282人で、統計を取り始めた昭和52年度以降で最多となった。
相次ぐ被害に文部科学大臣の萩生田光一は、教員のわいせつ行為を厳正に対処する方針を示した。
「児童、生徒を守り、育てる立場にある教師がわいせつ行為を行うなど言語道断であり、極めて深刻に受け止めている」
文部科学省は全国の教育委員会に対し、わいせつ行為が確認された教員は原則、懲戒免職とするよう求める通知を繰り返し出している。
通知とは何なのでしょうか。命令ではないのか、拘束力は無いのか、従わなかった時はどうなるのでしょうか。通知を無視し続けても平気でいられる制度だとすれば、そういう制度すなわち「教育委員会の独立」が大きな問題ではないのでしょうか。であるとすれば、文科相としては「教育委員会」制度に手を付ける必要があるのではないのでしょうか。
懲戒処分歴を隠して他の自治体で再任用されることがないよう、各教育委員会には全国の教員の懲戒処分歴を検索するシステムがある。このシステムを整備した文部科学省はその検索期間を先月、これまでの3年から5年に延長した。来年2月には期間を40年に延ばし、古い処分歴も把握できるようにする予定だ。
教員を守る立場の日教組(日本教職員組合)も、わいせつ行為には手厳しい。広報部長の内山靖行はこう語る。
「懲戒処分を受けるようなわいせつ行為は厳罰化されるべきだし、子どもを守るという観点から、わいせつ行為をした教員を再び教壇に立たせるのはよくない」
この問題で、「日教組」が手厳しいとは考えられません。そう見えるのは、文科省が“日教組化”したために、出る幕がなくなり、そう見えるだけです。
“職業選択の自由”が壁に?
ただ教育職員免許法では、懲戒免職などで免許が失効した場合でも3年がたてば再取得することができる。
このため文部科学省は法律を見直し、免許を再取得するまでの期間を延長したり、再取得できないようにしたりできるかどうか検討を進めている。
免許の再取得とは、再度試験を受けることではないのでしょうか。一度失効した者は再度一から再受験させて、「犯罪履歴」を考慮して合否を決定すべきです。再受験することなく、単純に「復権」出来るのであれば、それは失効ではなく単なる一時停止に過ぎません。
失効したにも拘わらず、再受験することなく「復権」するのは特権的であり不公平です。免許制度が、何があっても一生涯有効な「身分制度」であってはなりません。
それでも法的な課題があると萩生田は指摘する。
「えん罪もあるし、本当に更生をして戻りたいという人たちの職業選択の自由を阻むことが憲法上できるのか、大きな課題もある。採用側の責任で採用することも選択肢として残しておかなければならないのではないか」
憲法第22条は「何人も、公共の福祉に反しないかぎり、居住、移転および職業選択の自由を有する」と定めている。
職業選択の自由とは、選択の機会を保証すると言うことで、結果(採用・就業)の保証ではありません。「選択の自由を有する」ことと、「特定の職に就く権利がある」ことは全く別問題です。その区別をしない萩生田氏には不安を感じざるを得ません。選択の機会は均等(自由)でも、必要要件(学力など)、欠格要件(犯罪歴など)の有無により、結果は誰でも均等では有りません。それが違憲だというなら、前科者の採用を忌避することは、すべて「差別で違憲」になりかねません。
それに前科者の野放しは「公共の福祉」に反します。
また刑法では、刑法犯が刑期から10年後には国家資格を再取得できることを認めている。
これらの法制度との整合性から、教員への復職を妨げたり、教員だけ処分期間を長期化したりすることが難しいという事情もある。
処分を受けても…
さらに問題と指摘されているのは、懲戒処分となり失職した教員が他の職種で再び子どもと接するケースだ。
一度資格を喪失した者は、再度一から出直して再受験させれば、機会は与えたことになります。その時に他の受験者と差別してまで優遇する必要は無く、むしろ既得権を守る方が「喪失」の趣旨に合わないし、他の受験者に対する「差別」になりかねません。
他の国家資格との整合性を云々するなら、教員に合わせて統一すれば良いのです。甘い方に統一する理由はありません。そもそも、「再取得」とは、再度試験などの取得手続きを踏んで取得すべきであり、労せずして「復活」するのは、「再取得」の名に値しません。
民間企業で、社内のわいせつ行為で一度懲戒免職にした社員を、数年後に再雇用する企業があるでしょうか。それが公然とまかり通っている公務員、特に教育委員会の現状は重症と言うべき事態です。
これを機会に公務員に甘い制度を見直すべきです。職種による違いも認めるべきです。
先の母親はスマホの画面に動揺した。
小学3年生の娘の下着に手を入れ、その後懲戒処分を受けて失職した元教員が、ことしに入って障害のある子どもたちの支援施設で働いていることがわかったのだ。
「娘の受けた被害を知ったときから、その教員が『今どこで何をしているんだろう』って気になってしまう自分がいました。似たような人が歩いていると反応してしまうし、偶然ばったり会ってしまうのは嫌でした。二度と保育や教育の現場に戻って欲しくない。子どもと関わる仕事をして欲しくない。そう思っていました」
施設のホームページには、元教員がすでに失効しているにもかかわらず教員免許を持っていることがセールスポイントのように記されていた。
元教員が新たな職場で、障害のある子どもたちに、わいせつな行為をしたかどうかはわからない。だが母親は、さらなる被害者が出かねない状況に不安を感じた。
「性癖というか、わいせつ行為をしてしまう自分を自覚していたら、子どものいる現場には戻らず、別のところで再就職して欲しかった。しかも障害があって、より被害を言いだしにくい子どもたちのところに戻っていた。同じような被害を受けている子どもがいるのではないかと思うと、おぞましいです」
発覚は“氷山の一角”
国民に対して必要な情報が提供されていない現状は、「言論・報道の自由を欠く社会」と言わざるを得ません。マスコミの罪は重いと言うべきです。学校が犯行現場となる教師による児童に対する卑劣な性犯罪のニュースは、隠すことなく氏名と顔写真入りで大きく報じられるべきです。
子どもへのわいせつ事案は保育の現場でも相次いで報告されている。ベビーシッターや塾講師など、国家資格を必要としない現場でも「わいせつ事案」の報告は後を絶たず、表面化・事件化したものは氷山の一角とも指摘されている。
性暴力対策に取り組んできた慶應義塾大学の小笠原和美教授は、知識や理解力の乏しい子どもの脆弱性につけ込み、被害が長期化するケースも多いという。
「指導者の立場を利用し、微妙な身体への接触からエスカレートしていく例が多い。誰にも見えないようにしむけるため、被害に遭ったことを認識しにくいという点が、教育や保育の現場で起きるわいせつ行為の特徴の一つだ」
犯罪歴の証明を
子どもたちのための教育や保育の場で性犯罪が起きないようにするには、どうしたらいいのか。
イギリスでは仕事やボランティアで子どもと関わるには、事前に犯罪歴の証明書を提出することが求められている。犯罪歴の証明書は、司法省が所管する部局に申請をすると発行される仕組みになっている。
こうした諸外国の例を参考に、日本でも法制化に向けた模索が始まっている。
自民・公明両党の有志議員は2年ほど前から勉強会を開いて法整備を目指している。自民党の衆議院議員の木村弥生は、その中心メンバーの1人だ。
「学校の教員を辞めても、いくらでも抜け道があるというのはやっぱり違う」
教育、教育委員会の特別扱いは止めるべきです。このような実態は、教育現場には来て欲しくない人間を呼び寄せ、来て欲しい人を敬遠させる結果に結びつき、学校の劣化を加速します。。
勉強会では、すでに「児童ポルノ法改正案」として骨子案をまとめている。しかし教育や保育など子どもに接する仕事に就く際に、犯罪歴のないことを証明する仕組みを導入することは盛り込めなかった。
なぜなのか。
法務省“慎重に検討を”
法整備にあたり、木村らは法務省などに法律上の課題について意見を求めた。
法務省も性犯罪から子どもを守るため厳罰化に一定の理解を示す。ただ犯罪歴の証明については、更生の機会を妨げるおそれがあり、慎重に検討する必要があると指摘する。また犯罪歴の情報は、仮に自分自身のものであっても、法律上、行政機関から入手することは、認められていない。
法整備にあたっては、更生の機会を妨げない観点も含め、犯罪歴の証明を必要とする職種や資格を具体的にどう定めるのか、議論を進める必要があるとしている。
このため木村らがの勉強会でまとめた骨子案では、学校や保育所などの設置者に対し、わいせつ被害の防止に必要な措置を取るよう「努力義務」を課す内容を盛り込んだ。ただ罰則や法的な拘束力はない。
木村の思いは複雑だ。
「『なまぬるいんじゃないか』という指摘もあった。でも、法務省は『犯罪を犯した人が立ち直って社会に出るのを妨げる』とか『個人情報にも関わるから慎重にすべきだ』という一点張り。らちがあかず、じくじたる思いだけど、まずは努力義務規定とした」
法務省が『犯罪を犯した人が立ち直って社会に出るのを妨げる』とか、『個人情報にも関わるから慎重にすべきだ』と言って抵抗したのは、「人権」という言葉こそ使用していないものの、明らかにわいせつ教師の「人権」を念頭に置いた発言です。
しかし、そもそも人権とはすべての人が対象となり、人権問題の多くは人権と人権の衝突であり、そのどちらを優先すべきかという問題意識で論じるべきです。しかるに、自分が関わりを持つ一方の人権だけを絶対視して、相手方の人権は視野にない主張を展開する人が横行しています。
この問題で仮にわいせつ教師の「人権」を意識したとしても、当然それならば被害を受けた(今後の被害が予想される)女児の「人権」はどう守っていくのかを、それ以上に意識して議論しなければな等ない筈ですが、法務省の主張は正反対です。
憲法の制約の中でも
野党側からも法整備の声が上がっている。
また、法務省は“更正”、“更正”と言いますが、犯罪者がすべて立ち直る(更正する)とは限りません。更正の機会を与えれば必ず更正するとは限りません。更正の機会を与えたが、更正しなければ、新たな被害者が出ます。機会を与えなければ防げた被害を防がなくて良いのでしょうか。
法務省は犯罪者の保護・更正が主たる業務なのでしょうか。犯罪から社会、国民を守るのが本業の筈です。
昔(在学中に)、誰かに(教授に)刷り込まれた思考回路が脳裏に焼き付いて離れず、それに反するいかなる現実も受け入れようとせず、何を見ても聞いてもオウム返しの答えしか返ってこないのが法務官僚の現実の姿です。
今の“法律上”出来なければ、法律を改正すれば出来る事です。問題は改正する気があるか無いかの問題です。法務省は子供の人権よりも犯罪者の人権を重視する体質を改善すべきです。
「司法の常識は国民の非常識」、この言葉を胸に、こういう場合にこそ民意によって選ばれた政治家、萩生田文科相が存在感を発揮しなければならないはずです。
この問題に関わりの深い「文科省、法務省、厚労省」は、日本の問題官庁ワースト・スリーと言って良いと思います。
元検事で国民民主党の衆議院議員の山尾志桜里は、犯罪歴の有無など経歴書の提出が求められる里親制度を引き合いに「職業選択の自由」という憲法上の制約の中でも、無犯罪証明の制度を設けることは可能ではないかと言う。
「里親になるときにも、犯罪歴のない証明を本籍地の自治体から取り寄せる形になっている。日常的に子どもと接する職業については、子どもに対する性犯罪歴がないことを資格の大前提とし『欠格事由』として明記することが大事だ」
山尾は教育現場といった「特殊性」を強調することで、憲法の制約があったとしても性犯罪歴のない証明の提出を求めることができると主張する。
「性犯罪の被害を感じられなかったり、人に言えなかったりする年齢という極めて特殊な領域であることに加え、子どもが自分の判断に関係なく日常的に過ごす場所の職業だからこそ『職業選択の自由』の規制に踏み込んでいる。そのことを前提すれば、他の職業とのバランスを欠いても十分に説明ができるのではないか」
山尾はまず党内で法案化に着手し、他の党にも賛同を呼びかける考えだ。
省庁またいだ仕組みを
慶應義塾大学教授の小笠原和美は、省庁の枠組みを越えた対応の必要性を指摘する。
省庁の枠組み云々は、政治が官僚政治に止まっていると言うことを意味します。政治家(国務大臣)は省庁の枠組みにとらわれるべきではありません。省庁の利益代弁者であってはなりません。
「制度設計の上ではどこが責任官庁になるかということはあるが、横ぐしで通さないと漏れがいっぱい出でしまう。仮に学校の教員をしっかりチェックできるような仕組みを作ったとしても、すぐ隣に別の入り口がぽっかり穴を開けて待っているとすれば完全な抜け道になる。子どもと日常的に接するポジションに就く人には何らかのチェックが働くようにすべきであり、その法的な根拠も必要だ」
守るのは子どもの人生
被害からおよそ2年が経過したが、母親は娘の将来に不安を抱え、現在も問題の教員の名前を検索し続けている。
「今でも娘は元教員に対し、悪い印象を持っていません。ただ娘が成長する過程や思春期に入り、自分がされた行為が理解できた時、どう変化していくのか。この先、成長とともに深刻な影響が出てこないか想像すると、今のギャップが怖いです」
性被害は子どもの心身に深い傷を負わせ、その後の人生に大きな影響を与えかねない。
未然にわいせつ行為を防ぐためにはどうすべきか。
ことさら教育や保育の現場では実効性のある取り組みが求められる。
(文中敬称略)
このようなわいせつ事件が、刑事事件として立件されたのでしょうか、刑罰が科されたかの言及が無く、民事の損害賠償(国家賠償)の報道もありません。一体どうなっているのか、役所、マスコミ、学者、評論家・・・、すべてがお粗末すぎます。
人ごとのように「実効性のある取り組みが求められる」などと言っている場合でしょうか。
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令和3年1月7日 ご意見・ご感想は こちらへ トップへ戻る 目次へ