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「学校現場 過酷な勤務実態(長時間残業・人手不足)」は本当か −残業が増え、休職者が増加するのは、教師の資質の低下が原因−

 2月22日のNHKテレビニュースは、「学校現場 過酷な勤務実態を訴える投稿続く 深刻な教員不足も」と言うタイトルで次の様に報じていました。
茶色の字はNHKの報道 黒色の字は安藤の意見)
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学校現場 過酷な勤務実態を訴える投稿続く 深刻な教員不足も
2022年2月22日 7時40分 NHK



 教員の過酷な勤務実態が今も投稿され続けている、国の「#教師のバトン」プロジェクトの開始からまもなく1年。
深刻な教員不足の実態も明らかになる中、働き方改革は待ったなしの状況となっています。


  「改革」はその内容によって、一方の当事者にとっては「改革」であっても、他方の当事者にとっては「改悪」である事が当然あり得ます。その視点を欠いた記事は「偏向報道」の誹りを免れません。この記事は無条件に当然のごとく、「教師」の側に立っていて、「児童・生徒」
眼中にありません。児童・父母側には全く取材すらしていません。

 
文部科学省が今年度、全国の教育委員会に行った調査では、国が上限としている月45時間を超えて残業した教職員の割合は、多い月で中学校で6割、小学校で5割に上っています。

 残業については「多い月」だけ報じるのでは無く、少ない月、平均値も報じるべきです。
 以前は教師は「聖職者」として扱われ、明確な就業時間は無く、タイムカードも無く、残業手当もありませんでした。賃金は残業込みの筈でした。

 その代わり基本給が一般公務員よりは優遇されていただけでなく、長年、勤務状況を労働者として評価(採点)されて賃金・ボーナスに差がつくことを、「勤評反対」と言って拒否してきました。
 長い夏休みも冬休みも長い「有給休暇」でした。

 その人達の考え方の根本には、教職は
時間で計れる(単純)労働ではなく、高度な知的な職業であると言う誇りがあったのです。大学教授が“労働時間”を云々しないのと同じです。それはそれで一理ある考え方です。それに対して、残業を云々して、労働時間がすべてであるかのような主張をする人は、所詮時間で計れる“単純労働”程度の仕事しか出来ず、それ以上の事はする意思も能力もない人達と言えます。教師の劣化は明らかです。

 国際的に見ても、2018年のOECD=経済協力開発機構の調査で、日本の中学校の教員の1週間の仕事時間は56時間と、48の国と地域の中で最も長くなりました。

 日本と外国では、学校教育に関しての考え方が大きく異なる点が少なくないはずです。外国では部活運動会も、掃除当番もありませんが、日本と彼らとは勤労観労働観を異にしていて、各種の指標の数字が異なることは不思議ではありません。そのうちの一つだけ取り上げて、論じることは余り意味が無く誤解の元です。

 
授業時間に大きな差はない一方、部活動などの課外活動の時間が平均の4倍に、書類作成などの事務作業も平均の2倍に上っています。

 部活動などの学校の課外活動は、日本でも海外からも肯定的に評価されており、否定的に評価する人は教師とその関係者以外にはほとんどいません。学校が教師のためにあると言うならともかく、そうでなく、学校は児童・生徒の為にある以上,外国は外国、日本は日本で考えればいいことです。自分の都合の良い点だけ外国を引き合いに出す議論・主張は愚劣です。

 こうした中、学校現場ではうつ病などで休職した教員が4年連続で5000人を超え、去年5月の時点で全国の公立学校で2000人以上の教員が不足している実態が明らかになったほか、小学校の教員の採用倍率は3年連続で過去最低となるなど教員を取り巻く状況は厳しさを増しています。

 なぜ病人が増えたのでしょうか。考えられることは、1.教師を取り巻く環境の悪化 2.教師となる者の資質の低下、の二つのどちらか(或いは両方)です。しかし環境の悪化は考えられません。(採用倍率が低下することは「学校を取り巻く状況」が厳しさを増すのであって、「教員を取り巻く状況」が厳しさを増す事にはなりません、反対です。都合の良い時だけ、“教師=学校”はありません。)

 振り返ってみれば、臨海学校林間学校も無くなりました。学校のプール(水泳指導)も減りつつあります。部活運動会も簡略化される一方です。
 他方で1クラスの人数50人前後から30人台にと減少が進んでいます。更に小学校では一部で科目別担任制が採用されています。どこから見ても教師を取り巻く環境に悪化は見られません。教師にしてみれば“改善”する一方ですが,児童・生徒から見れば
“劣化の一途”です。

 今まで出来ていた事がなぜできなくなったのか、誰もが抱く当然の疑問の筈ですが、報道は何も触れていません。児童の父母や、年配者(例えば良心的な教師のOB)に取材すれば,参考になる話しは聞ける筈ですが、教育関係者もマスコミも決してそれをしようとはしません。

 環境の悪化が無いとすれば考えられる原因は、教師となる者の資質の低下である事は間違いないのです。
 教員希望者が減少しているのは、現場の教師の「資質の低下」が広く知られてきたのが原因で、長時間労働(残業の増加)ではありません。長時間労働が原因と報道されていますが、具体的な根拠が示された報道は皆無です。
 教師の長時間労働資質の低下に何らかの関係があるとすれば、長時間労働は資質の低下の結果であり、その逆方向(原因)ではありません。



 去年3月から文部科学省は、教員に発信を呼びかける「#教師のバトン」プロジェクトを行っていますが、開始から今月下旬までのこのハッシュタグを含むツイッターの投稿をNHKが分析したところ、リツイートも含めると65万件以上、含めないものも17万件近くに上り、今なお過酷な勤務実態を訴える投稿が続いています。

 この種の調査は投稿者に偏りがないかを確認することが出来ず、鵜呑みにすることは危険です。

 文部科学省は、再来年度から段階的に休日の部活動地域に移行する方針を示しているほか、先月には全国の教育委員会に対し、運動会遠足などの学校行事の簡素化や、教員に代わる「部活動指導員」を配置の促進などを通知していますが、教員一人ひとりの負担を減らし子どもたちの学びの質を保障するためにも、学校現場の「働き方改革」は待ったなしの状況を迎えています。



 現状に対して改革の必要があるとするならば、まず何が問題なのか、次にその原因は何かを究明しなければなりません。それをすること無く、問題点を整理すること無く「〇〇改革」と称して対策を議論するのは,論理の飛躍であり大変危険です。
 今の段階で議論を整理すれば、「問題点」としては、「教師の残業が増えた」であり、その「原因」としては、「資質の劣る教師が増えた」と言うことです。部活が繰り返し目の敵にされるのは、「休日出勤」だけで無く、今の教師に部活を指導する意思も能力も何もないからです。
 「教師の負担を減らす」事が「学びの質を保障する」事に繋がると言うのは、詭弁を通り越した
です。

 であれば、対策は当然「資質の劣る教師」の排除と、「資質の高い教師」を獲得するためにはどうしたら良いかと言う点が、今後の議論の中心となるべきです。

 
文科省 改革の取り組み事例をホームページで公開
文部科学省は、全国の学校の働き方改革の取り組みの事例をホームページで公開しています。


 
この中では、教材づくり採点などの学習面のほか、生徒指導進路指導、それに部活動や運動会といった特別活動など、分野ごとに負担を減らす方法や試算された削減時間が紹介されています。

 このうち、目安となる削減時間が大きかったのは、外部人材の導入や、地域と連携する取り組みでした。

 テストの丸付け元教員に任せたり、結果の入力を外部委託したりすることで、教員1人当たり年間107時間ほどの削減に、休日の部活動は、校庭などを外部団体に貸し出し習い事として行う形にすることで、教員1人当たり年間129時間の削減になると示しています。

 必要な議論をすべて省略して“対策”の実行を議論するのは、最初から
“結論ありき”の議論なのです。ここで言われていることは、全て“外部への丸投げ”ばかりです。極論すれば学校は要らないと言っているのと同じです。これが文科省のする事・言うことでしょうか。

 
ICTを活用する方法も多く紹介されていて、家庭訪問のオンライン化で、移動時間が7時間ほど削減、学級通信を紙に印刷して配る代わりに、ホームページで見てもらうことで年間21時間ほどの削減になるとしています。

 一方、事例の共有にあたって文部科学省は、いずれも何らかの教育的意義があって行われてきただけに、中には賛否両論もあるとして、学校や地域の事情にあわせて参考にしてほしいとしています。

 専門家「行政は人員を増やす予算を確保し一刻も早く改革を」
教員の働き方改革に詳しい千葉工業大学の福嶋尚子准教授は、教員の働き方改革全体については「単純化すれば、仕事を減らすことと人を増やすことが必要で、このうち仕事を減らす工夫は現場任せの面が大きいが、現場だけでは限界があります。教員の過酷な勤務の解消は子どもたちの教育に直接影響するだけに、国や行政は教員や専門スタッフなどの人員を増やすための予算を確保して一刻も早く改革を進める必要があります」と指摘しています。


 「公務員の数は放っておけば仕事量の増減に拘わらず、際限も無く増加する」と言う「パーキンソンの法則」を思い知らされる、非常に単純な“専門家”「指摘」です。こういう人達の意見しか聞かされることが無い日本の現実に暗澹たる思いです。

 日本の学校の劣化・教育の劣化は、日本の
将来の世代、ひいては日本の将来に対しての深刻な懸念・不安材料ですが、日本のマスコミ、学会、官界にはその認識がありません。
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(付言)
 教師は「聖職者」なのか、「労働者」なのか、それが曖昧にされている。
 かつては教師は聖職者とされ、明確な就業時間は無く、タイムカードも無く、残業手当は無かった。その代わり基本給が一般公務員よりは優遇されていた。賃金は残業込みの筈だった。
 長い夏休みも冬休みも“有給休暇”であった。

 今の彼らの言うことは、義務を免れ、自由を主張する時は「聖職者」、権利を主張する時は「労働者」で、どちらが得かその時に依って使い分ける

 
労働者であれば仕事の範囲を明確にし、職務の遂行を評価して賃金を支払うべきであり、部活の指導をする教師としないものとは明確な差を付けるべき。
 
全て一律・均一は「悪平等」であり、怠慢と無責任を助長する

 職務の範囲が曖昧である事を良い事に、部活も、運動会も全てが手抜き一直線
彼らの提案は常に「何かをやめる」事ばかりで、新たに「何かをしよう」と言う提案は皆無である。たまに何かを「しよう」と言う時は、常に自分たち以外の「外部」に丸投げする。

 身勝手な主張をするだけで、例えば「いじめ」を放置するなど、使命感も、誠実さも、熱意も微塵も感じられない、教師の実態が知れ渡り、希望者が激減しているのが実態であり、それを隠しているのが新聞・テレビである。
 希望者激減の理由を「長時間労働」としているが、その根拠が示されたことは一度も無い。

 新聞・テレビは教師の側に立って、これだけの事を書くが、児童生徒・父母の側からの
取材は一切していない。一体学校は誰のためにあるのか。児童生徒(と親権者である父母)の為にあるのではないのか。教師はその為にいるのだと言う事を忘れている。全く本末転倒の議論だ。

 その根本的な原因は「教育」の「中立・独立」にある。これにより、教育行政は一般の行政から切り離された、「独立・中立」の「教育委員会」の所管となり、学校・教師の世界は、行政にとってアンタッチャブルになってしまい、その脱線・暴走に誰も歯止めを掛けることが出来なくなってしまった。それが教育基本法、教育委員会法を作った
GHQの狙いだっだのだ。
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令和4年3月1日   ご意見・ご感想は こちらへ   トップへ戻る   目次へ