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部活の廃止に見る、文科省指導の下で劣化が進む日本の学校教育 −「働き方改革(悪)」を口実にした“手抜き”、“いいとこ取り”は許されない−

 5月7日の読売新聞は、「教員『土日も部活』、3年で解消へ…地域の受け皿確保が課題」と言う見出しで、次の様に報じていました。
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[スキャナー]教員「土日も部活」、3年で解消へ…地域の受け皿確保が課題
2022/05/07 07:51 読売

 スポーツ庁の有識者会議が、2025年度までに公立中学校の休日の運動部活動を地域のスポーツ団体などに移行させる提言案を示した。教員の
長時間労働が解消され、働き方改革につながることが期待される一方、地域の受け皿確保が課題となりそうだ。(教育部 伊藤甲治郎、鯨井政紀)

未経験の顧問

東京都渋谷区の活動でサッカーを指導する元日本代表の藤田さん(中央)
(4月、渋谷区立原宿外苑中学校で)=青木瞭撮影


 東京都日野市立三沢中学校の女子バスケットボール部では昨年度から週2日、
外部の指導員が教えにくる。

 顧問を務める岩橋右京教諭(24)はバスケットボールの
競技経験がなく技術指導の不安を抱えていた。昨年度から担任も受け持ち、岩橋教諭は「精神的にも楽になった。外部指導の時間を授業準備や生徒と向き合うために使えるのは大きい」と語る。



 東京都渋谷区では昨秋から、区立中全8校の生徒が週末にサッカーやダンスなどの活動に
合同で参加できる取り組みを始めた。区は今後、部活動の地域移行を図りたい考えだ。

 4月23日には、サッカー
元日本代表の藤田俊哉さんが原宿外苑中で約2時間指導した。同中サッカー部顧問の阿部祐太教諭(39)は「プロの先生に教えてもらえるのは、子供たちにとっても貴重な体験になる。教員も、週末の部活動を外部に任せられれば、体を休められる」と歓迎する。

ブラック職場


 
少子化で学校単位の部活動の存続が難しくなり、教員の負担も大きいことから、地域移行への検討が進められてきた。スポーツ庁の有識者会議は4月26日、公立中を対象に23年度からの3年間で休日の部活動地域移行を完了させ、その後平日も進めるとする提言案を公表した。5月中にもとりまとめる予定だ。



 
部活動は教員の長時間労働の「温床」とも指摘されている。首都圏の公立中のバスケットボール部の顧問だった男性教諭(35)は、未経験だったため、深夜までルールの勉強をした。土日練習や試合で埋まり、家事や育児は全て妻任せに。教諭は「教員にも家庭の事情があるのに……」と漏らす。

 16年度の文部科学省の調査では、中学校教諭の約6割が、時間外勤務(残業)が月
80時間超の「過労死ライン」に達した。土日の部活動の1日あたりの時間は06年度と比べ、ほぼ倍増の2時間9分に。学校は「ブラック職場」とされ、中学校教員の21年度採用倍率は過去2番目に低い4・4倍へと落ち込んでいる。

保護者の理解
 教育課程外であるものの
学習指導要領「学校教育の一環」とされてきた部活動の改革は容易ではない。

 提言案は、
希望する教員に対し、教育委員会から許可を得れば、地域のスポーツ団体で子供たちを指導できるとした。だが、実際は望んでいないにもかかわらず、保護者らの要望により、やらざるを得ない教員が出てくる恐れもある。

 保護者の
費用負担の問題もある。スポーツ庁の委託調査では、外部に移行した場合、生徒1人あたり年間で平均1万7581円の追加負担がかかるとした。提言案では、経済的に苦しい家庭への支援を求めた。

 早稲田大・田中博之教授(教育方法学)は「部活動は教員の
ボランティア精神に支えられてきた面もあり、保護者受益者負担は避けられないだろう。国や自治体は、保護者らの理解を得ながら進めることが重要だ」と指摘する。

外部指導者の確保 難題…報酬高騰やトラブル懸念
 地域移行に一定のめどが示され、急務となるのが顧問に代わる指導者の確保だ。日本中学校体育連盟によると昨年度、全国国公私立中学校に男子約6万2000、女子約5万4000の運動部が存在した。スポーツ庁は総合型地域スポーツクラブやスポーツ少年団、プロチームなどで顧問以外に約59万人の「指導者」が活動していると見込む。

 ただし、実際に協力できる人数は不透明だ。先行実施のモデル校で「週末は所属チームの『本業』がある」と断られたケースもあった。
プロチームからのコーチ派遣は、報酬が高額になり、生徒の金銭的な負担増加につながる恐れもある。

 また、部活動は
教育的な配慮も求められ、過熱指導などのトラブルを防ぎながら人材確保を進める必要がある。日本スポーツ協会などの公認資格取得が推奨される一方、有識者の提言案には、人材バンクによる学校側と地域の橋渡しといった解決策も盛り込まれた。

 
文化系の部活動については、文化庁の有識者会議が7月をめどに提言をまとめる予定だ。同庁は受け皿の候補として「地域文化倶楽部」(仮称)を各地で創設してもらおうと、モデル団体として昨年度48団体、今年度59団体を指定した。劇団やオーケストラが地域の中学生に演劇や音楽の指導をするなど、活動は様々だが、運動部とは異なる特有の課題も指摘されている。

 吹奏楽部では、数十人がまとまって音を出せる場所の確保、
楽器の購入や保管などの問題が立ちはだかる。「公共ホールの使用は抽選で、いつでも使えるとは限らない。部活では学校の楽器を使えるが、地域移行で高額な楽器を買えない子は参加できなくなるかもしれない」(東海地方の吹奏楽部顧問)と懸念の声も上がっている。(運動部 青柳庸介、文化部 清岡央)
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 わが国の
学校教育の歴史は長く、その中でも部活については、運動会文化祭などと並んで、日本の学校教育の優れた点として、国内外で高く評価されて来ました。
 それにも拘わらず、今、
働き方改革、少子化を口実に、外部委託という形で部活が実質的な“廃止”に追い込まれようとしているのはなぜでしょう。「長時間労働」、「働き方改革」の一言だけでは、全く説得力がありません。

 
「長時間労働」と言いますが、もしそうであれば、それをもたらした学校を取り巻く環境の変化(悪化)が論じられるべきですが、「長時間労働」はいつ頃から発生したのか、その原因は何かについて何も論じられていません。

 部活がやり玉に挙げられていますが、部活は以前より行われていたもので、「部活動は教員の長時間労働の『温床』」と言って、部活を“長時間労働”の元凶として攻撃の対象とする主張は説得力がありません。
 文科省が調査し作成した資料では、教師が土日の部活動に費やす時間が10年前に比べて、1日当たり2倍の約2時間に増加していいますが、その原因には何も触れていません。文科省と教師達の意図するところは、単に教師の
“土日出勤”を廃止しようと言うだけです。児童・生徒のことなどは何も考えていません。

 部活そのものが必要ないというならともかく、必要・有益である事を認めているのであれば、なぜ教師達は手を引こうとするのでしょうか。それは土日出勤がいやだからです。では、教師(公務員)で無い民間の人達ならば土日出勤は構わないのでしょうか。そんな理屈が通ると思っているのでしょうか。

 10年前と比べて時間が長くなっている原因の一つには、学校の部活に関連して、各県、市町村などの
「〇〇大会」が活発になり、学校の部活がスポーツをすることだけでなく、「勝つこと」、「優勝すること」に目を奪われている実態はないのでしょうか。もしそうであれば、それは
教育委員会等が指導して改善すべきであり、改善できることです。

 本当に労働実態がどうなのか、何が原因なのかについての十分な説明がない中で、「長時間労働」が問題点として挙げられるとすれば、それは
環境の変化(悪化)と言うよりも、教師の資質の変化(悪化)が原因ではないのでしょうか。

 記事の中で岩橋右京教諭(24)は、
週2日、外部の部活指導員が教えにくるようになったことを歓迎し、「精神的にも楽になった。外部指導の時間を授業準備生徒と向き合うために使えるのは大きい」と言っていますが、「授業準備」と「生徒と向き合う」とは具体性に欠け、単に「仕事が減って楽になった」以上のものは感じられません。

 次に
土日休日長時間労働「競技経験が無く」「技術指導の不安」「長時間労働の『温床』」・・・、等の言葉を見ると、一体教師の労働条件給与体系はどうなっているのか、と言う疑問が生じてきます。
 バスケットの
経験が皆無の人が、部活の顧問を受け持って円滑に勤まるはずがありません。そういう人物が教師として採用され学校に教師として勤務し、部活の指導を命じられる人事制度・給与体系いい加減と言って良いと思います。

 教師の
“働き方改革”に名を借りた問題の多くはこの点に起因しています。仕事の範囲、給与との関係が明確でないのです。「手広く仕事をしても、手狭にしても」給与は同じなのです
 昔から教師は人事制度・給与体系の中で、
“労働者”ではなく、“聖職者”として位置付けられて来たために、他の公務員労働者のような明確な人事規則、就業のルール、評価による給与体系等がなく、その多くが“使命感”に委ねられていたものの、戦後、日教組などの悪影響により“労働者意識”が高まりました。

 しかしその後も、怠け者にとっては大きなメリット(
自分の裁量で何でも出来る勤務評価がない、悪平等)となる“聖職者”制度が廃止されることなく温存されて来たため、聖職者のままでいた方が得な部分は聖職者として残し、損な部分(残業手当がない等)は“労働者”を主張すると言う、言わば“いいとこ取り”の状態が続いていました。

 こういういい加減な人事制度の下で、
部活指導をしてもしなくても給与に反映しなければ、やる気の無い教師等から部活は廃止すべきだと言う人が出てくることは十分考えられます。

 これを防ぐためにまずすべき事は、
聖職者と労働者を明確に区別して、いいとこ取りをなくすことです。そして部活動の位置づけ明確にして、給与に反映させることです。

 そもそも
部活が教師にとって業務の一部なのか、サービスなのか基本的な位置づけが曖昧です。業務の一部であるなら、それは給与に含まれていると考えるべきです。教師の部活を廃止有料の外部委託にするというなら、教師の給与の一律減額があるべきと言う事になります。
 
 過去にそのような曖昧な制度が継続できたのは、教師は
「聖職者」として位置付けられていて、教師にはそれなりの使命感・プライドもあったのです。

 早稲田大・田中博之教授(教育方法学)は「部活動は
教員のボランティア精神に支えられてきた面もあり・・・」と言っていますが、それは間違いです。
 今の
大学教授にはおそらく残業手当はないと思います。それと同じで長年教師「労働者」として位置付けられてはいなかったのです。仕事の範囲は明確化されてはいなかったものの、部活指導は当然の仕事(使命)として誰も忌避しなかったのです。
 
明確化されていなかった事だけを捉えて、“ボランティア精神”というのは明らかに誤りです。
 “労働者”ではなく“聖職者”であり、労働条件等が明確化されていなかった為に、
5時前に下校する教師は少なくなかったし、また、春・夏・冬には、他の公務員にはない長期間の“有給休暇”があったりしたのです。

 部活が
学習指導要領で「学校教育の一環」とされ、教師の業務の一部とされているのなら、人事規則や給与体系の中で、その位置づけを明確にすべきだったと言えます。明確でないことを理由に廃止が許されるのであれば、今後運動会、遠足、学芸会、文化祭、家庭訪問、PTA活動等は縮小・廃止の嵐が吹き荒れるでしょう。現に一部は現実のものとなっています。その代わりに新たに何かを始めると言う彼らからの提案は決してありません。

 この記事の中で、報じられているのは
学校関係者の意見だけで、児童・生徒・保護者の意見は全く報じられていませんが、それで良いのでしょうか。良いはずがありません。学校内の部活が廃止され、外部に移行されることは、生徒達にとって何か良いことがあるのでしょうか。何も良いことはありません。そういう提案をなぜ文科省はためらうこと無くするのでしょうか。

 スポーツ庁の
有識者会議に生徒・保護者の代表者は存在するのでしようか。

 この記事で
「保護者」に触れている部分は、「保護者の理解」、「保護者らの要望により」、「保護者の費用負担」、「保護者の受益者負担」、「保護者らの理解」とありますが、「保護者」はいずれも「教師の犠牲により恩恵を受けている人」であるかのような扱いで、文科省、新聞記者、大学教授の脳裏には、「学校は児童・生徒・保護者の為にあるのであって、教師の為ではない」と言う基本的な認識が完全に欠落しています。

 この部活
外注化「受益者負担」言うなら、唯一・最大の受益者「教師達」であって保護者でないことは明白です。「受益者負担」と言うなら、部活を廃止した見返りとして教師の給与の相当部分を減額して保護者の負担増に充てる方がにかなっています。

 今のような
曖昧・いい加減な人事制度(労務管理)の下での、学校運営が進めば、やがて学校は公立学習塾と化してゆくでしょう。そして部活は消滅し、スポーツ音楽などを子供に学ばせたい保護者は、高い会費を払って民間のスポーツ教室・音楽教室に行くほかはなくなるでしょう。
 そうなった時は、教師の
給与学習塾の講師並みに減額すれば良いのです。

 
文科省指導の下で学校教育の劣化が進みます。
 学校の
部活が廃止され、学校外の指導者による民間の活動になった時に、その活動内容や事故に対して、誰が責任を負うのでしょうか。文科省は責任を負うつもりがあるのでしょうか。多分無いでしょう。であれば、文科省やその配下の“有識者”制度の制定を決定するのは誤りではないでしょうか。

 
劣化の流れにストップを掛けるためにまずしなければならない事は、「聖職者コース」「労働者コース」の区別を明確にして、“横並び・悪平等・いいとこ取り”の制度を止めさせることです。聖職者になる意思がなく、労働者に甘んじたい人に、聖職者のルールを適用するのは誤りです。

 人事制度を2分して、意欲と能力、使命感がある人を“聖職者”として扱い、
大学教授の半分程度の自由裁量と権限を与えて、細かい規則にとらわれない「報酬制度」で活躍してもらうのが良いと思います。

 一方で、ひたすら
をして、より高い賃金を望むだけの「労働者志向」の人には、明確な規則と達成すべき明確な目標を与えて、手抜きを許さずミスは厳格に減点とし、保護者の評価も考慮して仕事の目標達成度を厳格に査定して、能力と達成度に応じた給与・賞与の額をを決定すべきです。

 また
二つのコースは終身固定ではなく、本人の意思と能力、実績に応じて変更を認めるべきです。

令和4年5月16日   ご意見・ご感想は こちらへ   トップへ戻る   目次へ