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教育現場は治外法権か

 自由民主党が広島県立世羅高校校長の自殺を受けて、国旗、国歌の法制化を目指すことになりました。それを報じる3月4日の読売新聞を見ると「強制条項盛らず」、とか、「教育現場の反発考慮」の見出しが見えます。法律とは本来「強制力」があるのが普通です。一般の法律で「強制条項」の有無が議論されることは余りありません。当たり前の事なので「強制条項」という言葉さえ普通聞くことはありません。反対に罰則がないのが法律の不備、ザル法と言われることがあるくらいです。それなのになぜ、この法律案に関する議論に限って「強制」という言葉がしきりに使われるのでしょうか。

 「国家の強制」という捉え方が既に誤りだと思います。「強制」という言葉自身が、「自由」の反対として好ましくないと言う意味合いを持つ言葉です。この法律の議論に限って、「強制」という捉え方をするのは、この法律に反対する者の立場(自分たちのやりたい放題の現状を守りたい教職員組合の立場)から議論していることを意味しています。
 社民党の若手の中には、「法制化すれば、日の丸、君が代に反対している人の思想、信条の自由を侵すことになりかねない」と言っている人がいるそうです。教師が個人的に日の丸、君が代にどういう感情を持つかは自由です。しかし、職場で自分の主義、主張を押し通そうというのは誤りです。公立学校は教師個人の寺子屋ではありませんから、何を教えるかは教師の自由、教職員組合の勝手と言うわけにはいきません。

 それから、もう一つ「教育現場」という言葉にも注意を払う必要があります。「教育現場の反発考慮」となっていますが、「現場」とは何でしょう。「現場」が反発するわけがありません。反発しているのは「現場」の(一部の)教師です。「現場の教師」が反発すると、正当な国民の代表によって構成されている政府は、手を引かなければならないのでしょうか。かつて我が国の陸軍では「現場」の強硬な若手将校の独断専行に「指揮命令権者」は毅然とした対応ができず、彼らに引きずられ、国を誤った苦い経験があります。「現場」がいかに反発しようと、正当な権限のある「指揮命令権者」は、「非は非」として、命令を徹底させる必要があるのではないでしょうか。

 教職員組合は教育長の「国旗掲揚、国歌斉唱の完全実施」の命令に反発して、教職員の間で「教育長不信任署名」を集めたそうですが、教育長の任免権者は教職員ではありませんし、教育長は教職員のためにいるわけでもありません。彼らの行動は見当違いも甚だしいと言うべきです。

平成11年3月5日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ