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校長の権限と責任

 広島県立世羅高校の石川校長が自殺しましたが、3月4日の産経新聞の報道によると、それ以前にも自殺者があったそうです。記事によると「広島県で過去に少なくとも5人の公立学校長が自殺していたことが三日までに、県教委から文部省に入った報告で分かった。いずれも職務上の悩みによるものとみられ・・・」とあり、広島県では石川校長の他に過去にも5人の公立学校の校長と、6人の教諭、2人の県教委職員が自殺していることが明らかになりました。原因は明らかにはされていませんが、有馬文相は「痛ましいことが続いている」と国会で答弁したそうです。また、記事は「石川校長は、自殺する直前の2月25日から27日の3日間、教職員組合などのメンバーから計5回にわたって団体交渉を受けた」とも報じています。

 日教組の団体交渉がどんなものか、想像がつきます。とても普通の神経の持ち主には耐えられない交渉であったと思います。校長はなぜ、このような団体交渉に臨まなければならなかったのでしょうか。それは、校長には責任はあっても権限がないからです。組合に頭を下げないと、卒業式をはじめとする学校の運営ができないからです。
 校長は県民の負託を受けた県教育委員会の命令を実行する責任があります。しかし、校長には教職員に命令をする実質的な権限がありません。いや、正確に言うと権限を裏付ける人事権がありません。およそ、組織の命令権者が部下に命令を実行させるためには、命令に従わないもの、違反したものを処分し、あるいは左遷、降格したり、反対に勤務成績が優秀なものを栄転、昇格させたりする人事権の裏付けがなければなりません。人事権とは役職の変更、昇格、降格、給与、賞与の増額、減額などを実質的に左右できる権限です。

 ところが広島県に於いては、長年の教職員組合の不当な圧力のもとに、元々、十分ではない校長の人事権を、さらに有名無実化する念書が、校長と、組合との間で密かに取り交わされてきました。平成10年10月23日の産経新聞によると、
1.人事異動に際しては、本人の希望以外の意見具申を教育委員会に対してしない。
2.嫌がらせ的や報復的な配置換えや、退職の勧奨をしない。
3.主任手当を全部組合に拠出しないものは主任に任命しない。
4.職員会議を最高議決機関とする

などの多岐にわたる不当な念書が取り交わされていたことが明らかにされています。協定に応じない校長には、教職員を校内に待機させた上、分会長ら執行部が校長室で了解を取り付けるまで繰り返し交渉する強い姿勢を打ち出しているそうです。組合の圧力のもとで、校長の権限が、骨抜きにされてきたのです。

 かくして、校長は何の権限もなく、形だけの存在となり、ただ、不祥事や事故が起きたとき、責任を負わされるだけの存在になってしまったのです。実質的な権限を持ちながら、生徒や、保護者、国民に対しても何の責任も負わない組合と、一方、何の権限もなく、ただ、責任を負わされるだけの校長という、いびつな構造が学校の荒廃を招いているのです。

 このような不当な慣行ができてしまった背景には、数多くの労働運動、組合活動をめぐる裁判で、裁判所が労働者の権利のみを偏重し、組合の主張を認め、使用者側の権限に制約を課してきたと言う歴史があると思います。家永教授を勝たせた教科書裁判の影響もあると思います。司法の責任は軽くありません。
 使用者である国民、市民の代理人である校長の命令に従わないことは、民主主義のルールを無視する事です。こうした公務員の横暴が今回の事態を招いたのです。

平成11年3月7日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ