G62
私立高校無償化により、「公立離れ」が生じるのは「弊害」か -予算に於いて個々の歳出と歳入の結びつけを要求してその当否を論じるのは筋違い-
6月21日の読売新聞には「通常国会閉幕へ 少数与党の弊害が目立った」と言う題名の社説が、7月11日の読売新聞には、「[政策分析25参院選]<教育>「無償化」冷静な議論を」と言う見出しの記事が有り、どちらも私立高校の生徒に対する学資の支援を批判していました。(茶色字は記事、黒字は安藤の意見)
------------------------------------------------------------------------------------
「社説」通常国会閉幕へ 少数与党の弊害が目立った
2025/06/21 05:00 読売
政策の効果が見通せないにもかかわらず、野党の協力ほしさに少数与党は譲歩を繰り返した。
一方の野党は、財源の確保を政府に丸投げし、自らが掲げた政策の実現を要求するばかりだった。
本来個々の歳出の可否と、歳入(財源)の可否は別問題であり、特定の歳出だけ、特定の歳入を結びつけるようにと求め、それが明確で無い歳出を非とするのは、筋違いの反対論です。
個々の歳出と歳入は別々に可否を議論し、総額で歳出が歳入を超えるときは、国債で賄うか、一部で増税をするか、あるいは歳出案の一部で必要性が低いものを削除するか議論をするべき問題です。予算案全体の問題です。
その結果、将来世代にツケを回すかのような施策が優先され、負担を伴う難題は先送りされた。これではとても「熟議」とは呼べない。与野党は猛省すべきだ。
100%お役人(財務省)の立場ですね。多くの国債は将来にツケを回しますが遺産も残します。国債の一面だけを取り上げるのは悪質な議論です。
(中略)
一方、バラマキ色が強い政策も目立った。自民、公明両党は、今年度予算への協力と引き換えに、日本維新の会が求めていた高校授業料の無償化を受け入れた。
既に高校無償化を実施している自治体では「公立離れ」が生じるなど弊害も起きている。全国での無償化に年数千億円を投じる意義がどれだけあるのか、十分な検討が行われたとは言えない。
これは偏った視点です。公立離れは“弊害”でしょうか。公立に行くか、私立に行くかは本人(父母)が決めることで、教育業界の利害で関係者が決めることではありません。公立学校関係者は公立不人気の現実を直視すべきです。
なぜ公立学校が不人気なのでしょうか。この十数年間、多忙(残業)と仕事減らしだけを訴え続け、児童・生徒を省みることが無かった教師以下の公立学校関係者には、反省すべき事が山ほど有るはずです。
言うまでもない事ですが、学校は児童・生徒の為にあるのであって、教師の生活のためにあるのではありません。児童生徒にとっては、選択肢が拡がることは歓迎すべき事です。人気の無い公立校は統合・廃校の対象とすべきです。
無償化は公立に合格できず、やむを得ず私立に入学する生徒の家庭に手を差し伸べるもので、十分意義があります。
今年度当初予算には、医療費が高額になった場合に患者の負担を抑える高額療養費制度の見直しが盛り込まれていた。だが野党や患者団体から批判を浴び、政府はこの見直しを予算から削除した。
増え続ける医療費の削減は避けて通れない。そのための具体策を早急に講じる必要がある。
2年ごとに行われる診療報酬の改定で、引き上げを止めて、引き下げに転じれば良いのです。
最近、公立学校教師の残業手当が、従来の4%から10%に増額されましたが、これは避けて通らなくて良かったのでしょうか。
(以下略)
------------------------------------------------------------------------------------
[政策分析25参院選]<教育>「無償化」冷静な議論を
2025/07/11 05:00 読売
今回の参院選で、各党は教育に関わる様々な費用の「無償化」を掲げている。物価高騰に苦しむ子育て世帯にとって負担の重い教育費の軽減は魅力的に映るが、財源の裏付けが不明確なものも少なくない。
個別の歳出案に財源の裏付けは必要条件ではありません。予算と財源は個別の歳出案の問題ではなく、歳出・歳入総体の問題です。
大半の党が公約に盛り込むのが、高校教育の無償化だ。自民党、公明党、日本維新の会は、来年度から私立高校生のいる世帯への支給額を年45万7000円(上限)に引き上げ、年収910万円以上は対象外としてきた所得制限も撤廃する内容で合意している。今年度予算への協力と引き換えに、自民、公明両党が維新の「看板政策」を受け入れた形だ。
全国の高校生の3割以上が私立高に通っており、進路選択の幅を広げる意義はあるだろう。他の各党も高校教育無償化を前提に、授業料以外の教材費や私立高の施設整備費の負担などへの支援を公約に盛り込む。
高校無償化を先行して拡充した自治体では、私学人気が高まる一方で、「副作用」も生じている。維新のお膝元の大阪府では、府立高の定員割れが相次ぐ。昨年度から独自に私立高無償化の所得制限を撤廃した東京都でも今春、都立高の受験倍率が低下した。富裕層が浮いた費用を塾代に回すなどの格差拡大も懸念されている。
「このままでは、特定の進学校以外の公立高は生き残りが難しい。老朽化した施設は私立高に見劣りし、体験活動で特色を出す予算もない」。志願者が激減した都立高の女性教諭(39)は危機感を募らせる。
“予算もない”と言っていますが、それ以前の“やる気”は有るのでしょうか。
全国知事会は「人口集中地域の私立高への進学が増えて公立高の再編統合が加速し、中山間地域の衰退を招く可能性がある」と指摘し、地域の人材育成を担う公立高への支援を求める。
国民の生活レベルが上がるにつれて、山間地域の人達が大・中都市の住民と総ての面で同レベルの、便利さを維持することは困難です。大・中都市の住民と比べて環境や住居費用(宅地取得費)の面などで恵まれている部分もあることで理解すべきです。
いずれにしても、この過疎地域の問題は、“私学”の問題とは別問題です。“便乗”、“混同”すべきではありません。
来年度から全国で高校無償化を拡充すれば、新たに年数千億円が必要になるが、安定的な財源は示されていない。さらに公明や維新、立憲民主党などの公約は、大学の授業料無償化や奨学金返済の軽減に踏み込んでいるが、巨額の費用をどう捻出するのか。
個別の歳出と歳入はセットでは無く別物で、予算決定に際して、歳出と財源(歳入)は結びつけられていません。
今まで子育て支援策で多くの予算が費やされてきましたが、“財源”が議論されたことは一度もありません。
歳出と財源を結びつけて議論し、歳出の当否を判断するのは筋違いです。
小中学校の現場では教員不足が深刻化し、労働環境の見直しは大きな課題だ。自民は処遇改善を確実に進めるとしており、野党各党は教員定数の拡充を訴える。急増する不登校や発達障害の児童生徒へのきめ細かい対応などにも、教職員の体制整備は欠かせない。
目先の対症療法だけで無く、なぜ不登校が急増するのかという根治療法が重要です。
教育の質向上が後手に回らぬよう何を優先するか。「無償化ありき」ではない冷静な議論を求めたい。(編集委員 古沢由紀子)
「無償化ありき」なんて言っている人はいますか? “子育て支援ありき”の人は目立ちますが・・・。
教育の質向上の必要を云々するならば、その前に質が低下した原因が何かを議論すべきです。
「何を優先するか」って、まさか教師の待遇改善が最優先だ、なんて言うことでは無いのでしょうね。冷静になって下さいね、古沢さん。
------------------------------------------------------------------------------------
公立小・中学校の“教員不足”と“公立高校の入学志願者激減”は、同一方向の現象であり、この現象を円滑に進めることが、行政としての正しい反応です。反対に教育の質改善を伴わない(繋がらない)教師の待遇改善や、人気の無い公立高校への投資は税金の無駄遣いに他なりません。
言うまでも無く、学校は児童・生徒(それと親権者である父母)の為にあるのであり、教師の生活のためにあるのでありません。小・中・高のいずれに於いても、私学が人気となり、公立の人気が消失しているのは、ここ数十年間の学校の動きを見れば原因は明らかです。
公立小・中・高校が根拠も明らかにせず“多忙”を訴え、運動会・学芸会などの簡略化、部活の廃止、家庭訪問の廃止などに代表される、根拠の無い“手抜き”の連発をしていることを考えれば、教師の“劣化”は明らかです。
このような現象に対して、次は私立小・中学校の「授業料以外の教材費や私立高の施設整備費の負担などへの支援」を目指すほか、学費についても全額支援の方向を目指すべきです。
これらは総て、単なる“費用補助政策”としてみるのではなく、視点を広げて、“公務員(教師)の劣化”問題として捉えて対応するべきです。
公務員の“劣化”の原因は戦後の「公務員“聖職者”」から“労働者”への移行です。教師に労働組合組織を認めた(誘導した)ことです。「公務員=聖職者」には、異論があろうかと思いますが、今でも国の勲章・表彰の受賞者の大半が普通の公務員である事を考えれば、これは決して正しい認識ではありませんが、今なお残滓として残っていることは否定出来ません。
それ以前には教師から“労働組合結成”の希望や動きは皆無でした。労組(日教組)結成はGHQの意向であることは間違いありません。他にも教育基本法を作ったり、教育委員会を作って教育の“中立化(反日化、非日化)”を諮ったGHQの悪行は数えきれません。
今の現状(教師の劣化)は戦後70年余りで、GHQは日本の教育(公務員)の“劣化”という目標を達成したと言うことです。
このような“進展”はわが国の公立学校の歴史を考えれば、大変残念なことですが、このような戦後の公務員の“劣化”は教師に止まる現象ではありません。学校教育の監督官庁である“文科省”についてもそれと同じような(あるいはそれ以上の)“劣化”が進行しているのです。
今の学校の劣化は文科省が学校の現状を把握し、監督している中で進行しているのです。と言うことは、文科省自身が監督対象の学校と同じように(あるいはそれ以上に)劣化が進んでいるのです。文科省に教育業界改善の意思と能力があるとは考えられません。
従って現状の救済としては、学校業界を公立の小・中・高校中心から、公・私立併存(自由選択)として、今の日本社会にふさわしい公平な制度に基づく、公立・私立自由競争業界にするべきなのです。
令和7年7月14日 ご意見・ご感想は こちらへ トップへ戻る 目次へ
(追記)
日本の国立大学は、独立法人化して今は国立大学では有りませんが、彼らが独立法人化して、真っ先にしたことは職員(教授も含む)の給与の一斉引き上げです。
またこれを境にして日本人のノーベル賞受賞が途絶えたように見られます。
戦後の学界の闇は深いと思います。