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朝日新聞社説に見る「慎重審議」と「強制反対」の欺瞞
 

 国旗・国歌法案が衆議院を通過した翌日の7月23日の朝日新聞朝刊に、「結局強制にならないか」という社説が掲載されました。

 
「・・・提出されてから40日あまり、反対意見を押し切っての採決だった。私たちは、ゆっくりと議論を重ね、無理のない形で落ち着かせていくことが賢明な選択だ、と主張してきた。国旗や国歌のような問題が、こうした対決的な雰囲気の中で決められるのは不幸なことだ。将来に禍根を残さないためにも、今国会での成立を急ぐべきでないと思う」

 「日の丸・君が代の法制化が社会的強制の空気を生み、学校ばかりか社会全体に息苦しさが広がっていく危惧はぬぐえない」

 「君が代」の解釈も、衆院での審議は中途半端で終わっている」

 「『日の丸・君が代』は近隣諸国に対して行った侵略戦争のシンボルになった歴史を持つ」

と言っています。

 衆議院は反対意見があるうちは採決してはいけないのでしょうか。そんなことはありません。日本の議会は満場一致の規則があるわけではありません。また、朝日新聞は今まで、どの法律案に対しても、同じ様な「慎重審議」の主張をして来たのでしょうか。意見が鋭く対立した「臓器の移植に関する法律」に対しても、「夫婦別姓法案」に対しても、朝日新聞は、将来に禍根を残さないように、「ゆっくりと」、「慎重に」審議することを主張していたでしょうか。決してそうではなかったと思います。この問題に限っての「慎重審議」の主張は理由がありません。

 教職員組合の圧力で国旗と国歌が公立学校から姿を消しつつある状況は、「ゆっくりと」していられる状況ではありません。法律がないことが、「教育現場」の無法状態(教職員組合のなすがまま)を助長しており、この問題をめぐっては自殺者が出ているのです。将来どころか今、現に、「禍(わざわい)」が起きているのです。それに、たった2条の短い法律です。「ゆっくりと」イデオロギー論争をする必要はありません。

 朝日新聞は今まで、日の丸、君が代は国旗、国家にふさわしくないと主張して来たのであって、「無理のない形で落ち着かせていく」ことを主張してきたのではありません。こういう言い方はごまかしです。それに「無理のない形で落ち着かせていく」とは、どういうことなのか全く意味不明です。

 賛成、反対が議論を戦わせる訳ですから、ある程度の対決的雰囲気はやむを得ません。
それ以上の雰囲気の問題は議員のマナーの問題です。田舎の寄り合いの議論ではないのですから、「対決的雰囲気」があることは、採決や、結論を先延ばしにする理由にはなりません。

 朝日新聞の本音は、枝葉末節の議論(歌詞の文法的解釈)で審議を引き延ばし、審議未了で廃案にすることです。枝葉末節の議論で裁判を引き延ばし、延命を図っているオウム真理教の弁護士達と同じ発想です。朝日新聞の言う通り慎重審議をしていたら、日米安保条約も、自衛隊法も、朝日新聞の反対する法案はすべて永久に採決できないという事になっていたでしょう。

 個人で日の丸、君が代にどういう感情を持つかは自由であっても、式場で国旗を掲げるか掲げないか、国歌を斉唱するかしないかは、民主主義のルールに従って決定しなければなりません。そして、決まったことは当事者を拘束します。その意味では決定はどちらであっても「強制」です。「国旗を掲揚する」、「国歌を斉唱する」という決定の時だけが「強制」なのではありません。「国旗を掲揚しない」、「国歌を斉唱しない」と言う決定もまた「強制」に他なりません。

 同じように式典参加者を拘束するのに、「掲揚する」、「斉唱する」の決定だけを「強制」と非難して、「掲揚しない」、「斉唱しない」という決定を「強制」といって非難しなかったのはなぜでしょうか。文部省や教育委員会、校長の決定は「強制」で、教職員組合の決定は「強制」に当たらないというのは根拠がありません。正当な決定権者が誰かと言うことを考えれば、教職員組合の決定の方が不当な「強制」と言えます。

 今までオリンピックや、国賓を迎えての歓迎晩餐会の都度、日の丸が掲揚されたり、君が代が演奏されて来ましたが、これに抗議したり、不快感を表明した国があったと言うことは聞いたことがありません。朝日新聞の言う「近隣諸国に対して行った侵略戦争のシンボル云々」は全く根拠がありません。

平成11年7月24日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ