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学校選択制の次は教師選択制

 12月11日の読売新聞の「解説と提言」欄に、「教員の資質向上へ 審議会が答申 『不適格者』排除に制度の壁なお高く」という記事がありました。少し長くなりますが、引用します。

 「授業の進め方が全然わからなくてイライラした」、「わからないところを聞きに行くと、『ちゃんと聞いていないからよ』と追い返された」

 東京の下町の小学校で学級担任をしていた50代の女性教諭について、教え子達はこう振り返る。教室は常にざわつき、複数の子どもたちが席を立ち歩く。教諭と子供が言い合いになることや、体罰まがいの行動も、ひんぱんに起きていたという。

 親たちからは「担任をはずして」と要望が寄せられ、授業を見た校長も「大人が聞いても何を教えているのかわからず、子供の反応に全く耳を傾けようとしない」教諭にあぜんとした。

 結局、1年間の病気休職を経てこの教諭は別の学校に移り、その後も教壇に立っている。

 今回の答申が、「適性のない教員には、免職も含めた厳しい姿勢で臨むべきだ」と提言した背景にはこうした深刻な実態がある。保護者から「解任要求」を出されたり、学校をたらい回しされる教員は決して珍しくない。

 本人の意に反する分限免職の適用は訴訟に持ち込まれる例も少なくないため、教委が二の足を踏み、97年度は全国で13人だけ。現状を変えるためには、もう少し踏み込んだ対策を打ち出せなかったか。

 審議では、教員免許を一定期間ごとに更新する制度や任期制など、教員のあり方を抜本から変えるような提案が、現職校長の委員から相次いだ。「子供のために、問題教員を教壇に立たせたくない」という発言には、現場の強い危機感がにじんだ。「他の資格制度との整合性がない」として、事務局の文部省が検討の余地を見せなかったのは残念だった。


 文部省は一体、学校は誰のためにあると考えているのでしょうか。学校は教師の生活のためにあるのではありません。少年期のかけがえのない学校生活を台無しにされるのは、子どもたちにとっては大変な災難です。教育を受ける権利の実質的な侵害といってもいいと思います。

 文部省は「整合性」を問題にしていますが、教員免許制度と、他の資格制度の間にはどんな「整合性」が必要なのでしょうか。整合性はそんなに大事なことでしょうか。教師には就業時間の規則がなく、5時前に帰ることが許されていたり、生徒と同じように長期の夏休みがあるのは、他の公務員制度との間に整合性があるとは言えません。

 子どもたちのためによい制度なら、採用をためらう必要はありません。これに反対する文部省は子どもたちのことよりも、日教組のこと、ひいては同じ公務員である自分たちのことをまず考えたのだと思います。教師が任期制になったら、官僚も任期制にということを何よりも恐れたのだと思います。それが「整合性」云々の本音だと思います。教育の荒廃は日教組だけのせいではなくなりました。文部省の役人もひとつ穴のむじなです。

 欠陥教師を辞めさせることに何の不都合もありません。学校は教師のためにあるのではなく、生徒のためにあるのだということを忘れてはいけません。欠陥教師を辞めさせるのに分限免職がやりにくいのであれば、子供の両親が自由に担任教師を選べるようにすればいいと思います。

 12月9日の産経新聞に「保護者が自由に選べる 学校選択制」という記事があり、東京の品川区で小学校を父母が自由に選べる、学校選択制が実施されることが報道されました。素晴らしいことだと思います。しかし、これだけでは不十分です。学校選択制の次は、学校内で自由に担任教師を選べる、「教師選択制」を実施すべきだと思います。

 父母が自由に担任教師を選べるようになれば、無能教師、無気力教師、偏向教師、猥褻教師らのもとには、自然に生徒が集まらなくなり、それらの教師は淘汰されます。こうすれば裁判になりかねない分限免職よりも確実に欠陥教師を排除できると思います。そして、教師の給料は集まった生徒の数に比例して支給したらいいと思います。そうすれば教師のモラルも上がり、一石二鳥だと思います。

平成11年12月11日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ