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大蔵官僚の接待汚職(たかり)           (平成10年3月18日 産経新聞掲載)

 大蔵省の官僚に対する銀行業界、証券業界の接待漬けの実体が次々と明らかになっています。これを贈収賄事件と考えるのは誤りです。賄賂を受け取る方も悪いが贈る方も悪いと考えるのは誤りです。便宜を図ってもらうために接待したとか、接待の見返りに便宜を図ってもらったのではありません。彼らは許認可権限を盾に、接待をしなければ当然のことすら何もしなかったり、あるいは後回しにしたり、不利な取り扱いをしたりするのです。何をするにも接待が必要で、接待の多寡によって競争企業との勝負が決まるという現実があるのです。何をするにも賄賂が必要という後進国と同じなのです。これらの国では賄賂を贈らないと、当然のことが何もできないという現実があります。贈る方は悪くないのです。受け取る方だけが悪いのです。

 接待漬けが起きるのは、彼らに許認可権限があることが原因です。許認可を必要とすることが多すぎるのです。そして許認可に当たり明確な基準がなく、彼らの自由裁量に任されているからです。法治国家でない官治国家の現実があるといえます。
 我が国は形だけは民主主義の法治国家ですが、実質的にはほとんど官僚の手によって政治が行われている、官治国家であると言っても過言ではありません。国権の最高機関で唯一の立法府である国会には立法能力がありません。これは議員の能力が低いこともありますが、立法スタッフが全くいないことが一番の原因です。法律案の99%は行政府の官僚の手によって作られていて、法律案作成のプロセスで国民の多数意見を反映する余地が全くありません。法律案作成の過程で審議会に諮問されることがありますが、その審議会は官僚によって任命された委員によって構成されていますので、国民の多数意見を反映するシステムにはなっていません。

 このような過程で作られた法律案が、国会の議決を経て法律として制定されても、細部は行政府の官僚が作る政令や、省令によって決められることがほとんどです。大事なこと、肝心なこと、実際の運用は政令、省令ができてみないとわからないと言うこともしばしばです。こうして、法律制定の過程でも国民の多数意見が反映されてはいなかったのに、細部が政令、省令に委ねられているため、官僚は自分たちの都合のいいようにどうにでもできるのです

 大蔵官僚はこの問題を単なるモラルの問題にすり替えようと必死になっています、問題の本質である許認可権限、自由裁量権を死守しようと必死です。彼らの許認可権限がなくなれば企業は誰も彼らを接待しなくなります。自由競争の市場でライバル企業を相手に消費者の支持を求めて競争するようになります。それが本来の姿なのです。そのためにもこの問題を単なるモラルの問題、贈収賄事件で終わらせてはなりません

平成10年3月7日       ご意見・ご感想は   こちらへ      トップへ戻る   H目次へ