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社会の様々なシーンで「私権、々」と声高に騒ぎ、公平で円滑な行政の妨げとなっている「人権印(じんけんじるし)」の人達
3月14日の読売新聞は、「[論点スペシャル]新型コロナ『改正特措法』成立」と言う見出しで、次のように報じていました。
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[論点スペシャル]新型コロナ「改正特措法」成立
2020/03/14 05:00 新型コロナ 読売
改正新型インフルエンザ対策特別措置法が成立した。安倍首相は新型コロナウイルス対策を目的に、私権を制限する「緊急事態宣言」を出すことが可能になった。もろ刃とも言える宣言をどう扱うべきか。どんな影響が予想されるか。専門家に聞いた。
◆新型インフルエンザ=鳥や豚などのインフルエンザウイルスが変異して、人から人へ感染しやすくなったもの。2009年の流行時は、国内で約2000万人が感染したが、豚インフルエンザなどに由来する毒性の弱いウイルスだった。政府は強毒性の鳥インフルエンザに対応するため、12年に特別措置法を整備した。
(中略)
その意味で、政府が初動において新型コロナウイルスを未知の「新感染症」と認定すれば、2012年成立の新型インフルエンザ対策特別措置法をそのまま適用することもできた。
ただ、特措法は最後の手段で、「伝家の宝刀」だ。行政の権限を強化し、国民の自由を制約する非常に強い規定がある。刀を抜いた前例はない。政府があえて国会で現行法を改正するという慎重な対応を選択したことは理解できる。感染がさらに拡大した場合に備えるため、改正特措法を準備しておくことは賛成だ。
感染症の流行が国民生活などに重大な影響を及ぼすと判断した場合、首相が期間と区域を定めて緊急事態を宣言する。宣言を踏まえ、都道府県知事は不要不急の外出自粛の要請や、多くの人が集まる施設の使用停止などを指示できる。
(以下略)
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記事は「私権を制限する」と言ってこの法律を批判的に報じています。「私権制限」と指摘するのは、「外出自粛の要請」、「施設使用停止の指示」の部分だと思いますが、これは単なる「要請」、「指示」に過ぎず、それに応じる法的な義務が無い以上、(残念ながら?)「私権制限」には当たらないのではないでしょうか(この点はまた、別の意味に於いて大問題だと思いますが)。
仮に当たるとしても、私権と言う言葉自体の幅が広く(“人権"も同様ですが)明確な定義がない中で、この言葉を使ってこの法律を批判するのは余り褒められたことではありません。
それに私権をある程度制限するのは、多かれ少なかれ法律に共通するものではないでしょうか。
また、「特措法は最後の手段で、『伝家の宝刀』だ。行政の権限を強化し、国民の自由を制約する非常に強い規定がある」として、行政と国民を対立させるような表現があり、否定的な印象を拭えません。
「国民の自由を制約する」というなら、その制約により「救われるのもまた国民である」ことは明白で、そのことにも言及すべきだと思います。
今回のように私権(自由に外出する権利)と私権(疫病に感染せずに健康に生きる権利)が衝突して相容れない時は、どちらかの私権を制限しなければならないのは当然ですが、いずれにしても起きているのは「私権」と「私権」が競合する問題であって、「公権力(行政)」による「私権」の制限という問題ではありません。
このような点を認識せず、特定の私権(人権)だけに視線が固定して、それ以外の周囲の人の私権(人権)が目に入らない「視野の狭い」人達がいます。
その人達は何かにつけて行政・法令の否定的一面だけを見ては、条件反射のごとく“人権侵害”非難の大合唱を始める傾向が顕著です。
そういう人達を私は人権印(じんけんじるし)と呼んでいますが、彼らは社会の様々なシーンで公平で円滑な行政の妨げとなっています。今回の新型コロナウィルス対応に於いて、その一端が垣間見られたというところです。
令和2年3月29日 ご意見・ご感想は こちらへ トップへ戻る 目次へ