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根拠が乏しい司法公務員(検事)の特別扱い −公務員に“独立”、“中立”を与えると、学校教育の劣化(荒廃)に見られるように、碌な事にならない−

 12月19日の読売新聞は、「韓国検察 揺らぐ独立 検事総長懲戒…政治介入 許す法体系」と言う見出しで、次の様に報じていました。
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韓国検察 揺らぐ独立 検事総長懲戒…政治介入 許す法体系
2020/12/19 05:00 読売
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 韓国の尹錫悦ユンソクヨル検事総長に対する停職2か月の懲戒処分が決まった。処分は「検事懲戒法」に基づく秋美愛チュミエ法相の懲戒請求に端を発する。政権に対する捜査権を持つ検察トップを政治家が排除できる法体系は、韓国検察の独立性や中立性を大きく揺るがしている。(ソウル支局 建石剛)

◇法相が委員長




 「客観的で独立的な懲戒委員会の決定を受け入れた」。文在寅ムンジェイン大統領が16日に尹氏の懲戒処分を許可した直後、大統領府関係者は報道陣にそう強調した。

 それを額面通りに受け止めるのは難しい。

 韓国検察は日本の検察と同様、起訴権限をほぼ独占し、準司法的な性格を持つ。政界捜査も担い、一定の独立性や中立性は欠かせない。検事総長は「検察庁法」で2年の任期が保障され、任命権者の大統領にも辞めさせる権限はない。

(中略)

日本 手厚い身分保障

 日本の検察庁法では、多くの検察官の
任命権は法相にあるが、検事総長ら一部の幹部の任免内閣が行い、天皇による認証が必要となる。歴代総長の人選は、法務・検察内部で絞り込み、政府が追認する形がとられてきたとされる。政権による人事介入の余地を狭め、独立性を守るためだ。

 また、検察官には
恣意しい的な処分で職務遂行が妨げられないよう、手厚い身分保障がある。同法は、不祥事を対象とする懲戒処分と、病気や職務能力が低い場合が対象となる「検察官適格審査会」の議決以外では、意思に反して失職や職務停止されないと規定する。

 懲戒手続きは一般の国家公務員と同じだが、国家公務員法に基づき、人事院が示す指針に沿って行われる。懲戒権は任命権者にあり、総長であれば閣議で決める。検察官適格審査会では、法相も審査請求できるが、委員の構成上、
法相の意向は反映されにくい。これまで同審査会が免職にしたのは、失踪した副検事1人のみだ。

 日本でも「政治と検察の距離」が問われたケースはある。政府は1月末、「官邸と近い」との評もあった黒川弘務・東京高検検事長(5月に辞職)の定年直前で、半年間の勤務延長を閣議決定した。今年の通常国会に提出された検察庁法改正案には、総長ら幹部の定年を内閣の判断で最長3年延長できるなどとした特例規定が盛り込まれ、野党や世論の反発を招き、廃案に追い込まれた。

 (社会部 倉茂由美子)
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 記事では、日本に関する部分で、検察官の人事制度が、他の公務員と異なる以下の点が列挙されています。( )内は安藤の意見。

1.一部の幹部の任免は
内閣が行い、天皇による認証が必要
  (天皇が何か
政治的な役割を果たしているとすれば、憲法違反の疑いがある)

2.検事総長の人選は、
法務・検察内部で絞り込み、政府が追認する形がとられてきたとされる。
  (法律上の任命権者の権限が
形骸化しているとすれば、ゆゆしき問題である)

3.政権による
人事介入の余地を狭め、独立性を守るためだ。
  (国民の代表である政府・閣僚の、公務員の
任免権を制限する公務員の“独立性”などと言う概念は正当化できない)

4.
恣意(しい)的な処分で職務遂行が妨げられないよう、手厚い身分保障

5.「検察官適格審査会」の議決以外では、
意思に反して失職や職務停止されない

6.
法相の意向は反映されにくい。これまで同審査会が免職にしたのは、失踪した副検事1人のみだ。

 これらの制度は
一般の公務員とは異なる制度として説明されていますが、なぜ、検察公務員だけが、特別扱いなのでしょうか。
 もし、
優れた制度であれば、他の公務員に対しても適用があるべきだと思いますが、そうでないところを見ると、メリットだけではなく、デメリットがあるからだと考えられます。
 要するに公務員の
監督の手を緩めれば、彼らは求められている期待通りの仕事をしなくなると言うことでしょう。これは公務員に限らず、民間を含めた一般論として言えることです。

 では、
検察公務員には一般論は当てはまらないのでしょうか。彼らの仕事が重要であり、国民が期待するところが大であるとは思われますが、期待すれば必ず期待に応えるとは限りません。期待に応えて貰うためには、一般公務員以上に厳しく監督する必要があるとも考えられます。
 少なくとも
監督を弱くすることが、期待に応えて活躍することに繋がると言うのは、一種の監督性悪説(政治家性悪説国民性悪説、ひいては法律専門家性善説?)で、これは民主主義の原則とは根本的に相容れません。
 検察公務員には、一般公務員(一般国民)とは異なる、何か特殊な
“善良資質”が備わっているのでしょうか、それには科学的(医学的、生物学的)な根拠があるのでしょうか。

 憲法をいちいち持ち出すのは不本意ですが、
憲法15条では、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。3・4 (略)」となっていることを考えると、この検察官僚の特別扱いは明らかに「主権在民、公務員は国民に対する奉仕者」とする憲法の原則に反します。

 教育の独立、政治的中立
 公務員に「中立・独立」が有害である事の一例が
教育の中立・独立の考え方です。教育は他の行政と区別して、教育委員会の下で、政治家(自治体の首長)の介入(直接関与)を排し、地方行政から独立して公立学校などの運営に当たるとされました。
 選挙で有権者に選ばれた
知事・市町村長が、行政の長として公立学校の教育を指揮・監督する道が閉ざされてしまいました。司法(検事)の独立と瓜二つと言って良い考え方です。

 これは
戦後の占領下で、アメリカが日本を弱体化するために、日本に強いた教育制度ですが、そのアメリカ自身では、「“進化論"教育の否定問題」に見られるように、「教育の独立、政治的中立」は現実のものではないようです。

 しかるに日本では「教育の独立、政治的中立」の結果、
教育の左傾化、いじめの増加、わいせつ教師の増加などに象徴されるように、学校教育は劣化(荒廃)の一途をたどりました。
 「独立」
を標榜して劣化が進み、最近その問題点が浮き彫りになった組織、「日本学術会議」の問題も、同一線上にあります。そして、学術会議の劣化は、東京大学を初めとした“自治”の下にある日本の国公立大学(特に文系)の劣化に起因すると言って良いと思います。

 
検察官僚を、民主主義の制度のもとで、公正な選挙によって成立している政府、国務大臣の監督範囲の外に置かんとする司法制度は、民主主義の原則に反し大きなデメリットがあります。
 しかるに、これを
称賛する読売新聞の記者倉茂由美子さんの意見には賛成できません。

令和2年12月21日   ご意見・ご感想は こちらへ   トップへ戻る   目次へ