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森友学園の文書改ざん問題 国家賠償法は公務員の免責を定めたものでは無い −民事の賠償は、刑事罰の一部としての性格を持っている−

 11月26日の読売新聞は、「公務員 個人追求の壁 森友改ざん訴訟」という見出しで、次のように報じていました。
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公務員 個人追求の壁 森友改ざん訴訟
2022年(令和4年)11月26日(土曜日) 読売新聞

公務員 個人追求の壁 森友改ざん訴訟
大阪地裁 佐川氏関与 踏み込まず

 財務省の決裁文書が組織ぐるみで改ざんされた問題で、組織のトップだった当時の理財局長、佐川宣寿氏の賠償責任は認められなかった。請求を退けた25日の大阪地裁判決は、佐川氏の指示の有無や国の責任に踏み込まず、訴訟でも真相は明らかにならなかった。
  <本文記事1面>

森友改ざん訴訟
 
国家賠償法では、公務員が職務で他人に損害を与えた場合、国や自治体が賠償責任を負うと規定。公務員個人は責任を負わないとする最高裁判例が確立しており、当初から佐川氏個人の責任を問うハードルは高いとみられていた。
 それでも、原告側が佐川氏の責任を追及したのは、組織ぐるみで公文書を改ざんするという行為の
悪質さが際立っていたためだ。
 今回の訴訟で、原告側は「理財局長という地位を利用し、多数の公務員を改ざんに巻き込んだ」と指摘。「遵法行為の抑止効果や権限乱用の防止には個人責任を認めるべきだ」とし、
国家賠償法を適用せず、民法に基づく不法行為の損害賠償を認めるよう求めた。

 
過去には個人の賠償責任を認めた判決も出ている。神奈川県警が共産党幹部宅を盗聴した問題を巡る訴訟で、控訴審で判断は覆ったものの1994年の東京地裁判決は県や国に加え、「将来の違法行為を抑制する見地から望ましい効果が期待できる」として警察官個人
に賠償を命じた。

 しかし、中尾彰裁判長はこの日の判決で、
不法行為に対する損害賠償は、被害者が受けた損害を金銭的救済するためで、加害者への制裁や抑止効果が目的ではないと指摘。国が昨年12月に賠償責任を認める「認諾」をして約1億700万円が原告側に支払われることに触れ、「被害者の保護に欠けるところはない」として民法に基づく責任は認めなかった。

 自殺した元近畿財務局職員、赤木俊夫さん(当時54歳)の妻、雅子さん(51)が訴訟を起こしたもう一つの大きな苦は「自殺に追い込まれた理由を知りたい」との思いだった。

 国が昨年12月に認諾し、佐川氏の訴訟だけが残った。雅子さんは佐川氏らの尋問を求めたが、中尾裁判長は今年5月、「尋問しなくても判断は可能だ」として認めず、
実質的な審理を行わないまま結審。判決は、財務省の調査報告書をなぞる内容にとどまった。 

 雅子さんは損幸賠償に加えて佐川氏の謝罪も求めていた。判決は、
道義上は説明や謝罪が必要かもしれないと言及しつつも、義務が為ると考えられない」と退けた。

(以下略)

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 公務上の公務員の故意・過失により損害を受けた被害者に対して、
「国や自治体が賠償責任を負う」という国家賠償法の定めと、「公務員個人は責任を負わない」という最高裁の判例は別のものであり、両者を結びつけて考えるべきではありません。国家賠償法は公務員の無責を定めてるとは言えませんし、最高裁は国家賠償法の無効を宣言したわけでもありません。

 
国に賠償責任があるから公務員には賠償責任が無いと言う理屈にはならず、国と公務員の両者に責任があると言うことは当然あり得ることであり、過去の最高裁の一判例を全ての事件に当てはめるのは法律上の根拠は無いもので、争いの余地は十分あります。

 損害賠償事件の裁判では、刑事と民事は別に取り扱われますが、刑事裁判に於いて、民事の結果
(迅速で誠意のある十分な賠償の有無など)が量刑の判断に考慮されることはしばしばある事です。その場合に被告側に有利に扱われるのは、被告人個人が賠償金を負担したかどうかであって、賠償保険の利用や、勤務先(公務員の場合は国)の負担は考慮されないのが普通と思われます。

 この判事は、被害者への
賠償は、加害者を「制裁」するものではなく、被害者を「救済」する為のものだと主張しますが、刑事裁判では賠償の履行「制裁」の一部先行として、「量刑斟酌(減刑)」の理由付けとして活用されている実態があると言えます。
 裁判所が加害者にとって必要・有益の時は、
民事の賠償「刑事的制裁の一部」先行として認めて、減刑していると言う事になります。

 そう考えると今回、原告が何の
「制裁」も受けていない被告に対して、制裁の一部として国とは別に「賠償」を求めることは、刑事裁判の流れに沿った一理ある主張で、理不尽な請求とは言えません。

 それにも拘わらず今回の判事が、
「賠償」「制裁」の一部としての性格を持つことを無視して、「賠償」「救済」であって「制裁」では無いと決めつけて、その論理だけで原告の被告への賠償(制裁)要求を一切否定するのは甚だ理不尽です。

 民事の
賠償は被害者への「救済」なのか、加害者への「制裁」なのか、その時の都合で加害者有利に意味づけをするのは公平とは言えません。
 今回の判事の言う
「救済」とか「保護」という発言が、損害賠償金の位置づけとしては極めて不適当であるだけで無く、言葉として極めて「不穏当」と言わざるを得ません。

令和4年12月7日   ご意見・ご感想は こちらへ   トップへ戻る   目次へ