H20
日本の現実を見ていない労働省

 6月28日の読売新聞に「『サービス残業』を削減しよう」という社説がありました。失業対策の観点から、サービス残業をゼロにすると90万人、時間外労働をゼロにすると170万人の雇用創出効果があるというものです。サービス残業を「明白な労働基準法違反」といいつつも、徹底した取り締まりによる撲滅の主張にはなっていません。「労基法違反でありながら、労使に任せてきた行政の明確な指導も必要だろう」という歯切れの悪い主張になっています。

 労使といっても労働組合の組織率は低下し、労働組合のない企業も多数あります。任せてきたのではなく、放置してきたというべきでしょう。いや、問題とする認識すらなかったのではないでしょうか。

 それではなぜ、行政、労働省はこの問題を放置してきたのでしょうか。それは、この問題は、欧米諸国にはない問題だったからだと思います。欧米でサービス残業の問題があるとは聞いたことがありません。ILO条約をはじめ、労働法規、労働条約は、「労働者は自発的に無償で超過勤務をすることはありえない。あるとすれば、それは強制労働の問題」という前提でできていると思います。ところが日本ではその前提が異なります。欧米ではありえないことが日本ではあり得るのです。強制労働でなくても、「自発的に」無償で残業をせざるを得ない状況があるのです。サービス残業があり得ないことが前提の社会と、あり得る社会では労働行政は当然異なってこなくてはなりません。ところが、サービス残業は欧米にはない問題で、労働問題の教科書に書いていない問題だったため、労働省は何も手を打たず、問題意識すら持たず放置してきたのです。

 これに対して、セクハラは何ら労働法規に違反するものではないにもかかわらず、労働省が先頭に立って、この問題に介入してきました。それはセクハラはアメリカで大きな問題になっていたからです。セクハラとサービス残業を比較すれば、労働に対して賃金を払わないサービス残業の方が、セクハラよりもはるかに悪質で深刻な問題だと思います。それにもかかわらず日本の労働省がセクハラ問題にうつつを抜かし、サービス残業という賃金の不払いを放置するのは、彼らが自国の実状を見ずに、欧米の実状を見てものを考えているからだと思います。

平成11年7月3日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ