H51
悪平等を愛する公務員
12月28日の朝日新聞は、「公務員制度改革大綱」、「能力給導入を撤回」と言う見出しで、次のように報じていました。
「大綱は・・・現行の『職務給制度』がもっぱらポストと勤続年数を基準に給与を決めていることに対して・・・批判が強まったことを受けたものだ」、「しかし、能力等級制度に対しては人事制度を所管する人事院が『能力の概念は抽象的で困難。結局年功序列になる』などと難色を示したまた、連合も『能力給の導入には勤労者の権利を強化することが不可欠だ』と反対するなど、各方面から批判的な意見が出された」
公務員は、労(官公労組)、使(人事院)そろって能力給には反対のようですが、それは一体なぜでしょう。それは公務員の中には能力に自信のある人、能力のある人がいないからだと思います。
怠け者や能力のない人にとっては、悪平等は望ましいものかもしれませんが、能力のある人にとっては悪平等は不当な制度で、自分が正当に評価されていないと不満に感じるはずです。民間企業ではそういう考え方が受け入れられています。ところが公務員の中からそのような不満や、民間企業並みの能力主義を求める声は全く聞かれません。
教師の世界では日教組が永年、勤務評定反対、主任制反対など組織をあげて悪平等主義の死守を戦ってきましたが、その結果、今日、教師は無能で無責任で非常識な人間のたまり場となってしまいました。能力のある人は悪平等主義を嫌うのです。今や公務員は、民間の自由競争の世界で生きていく自信がない人たちの集団と言っても言い過ぎではないと思います。これは悪平等主義の結果だと思います。
確かに人の能力、実績を正確に評価することはたやすいことではありませんが、それは民間企業でも同じ事です。完璧に正確な評価をできないからと言って、それは公務員の悪平等の継続を正当化する理由にはなりません。人の能力、実績を正当に評価すると言うことはおよそ人事管理の根本であり、それが出来ない高級官僚は無能という他はありません。
昨今、公務員が無能であることを示す出来事は枚挙に暇がなくなりましたが、公務員の労使が歩調を揃えて能力給の導入に反対したことは、彼らが単に能力がないだけでなく、意欲すらもない人間たちであることを示していると思います。
平成14年12月29日 ご意見・ご感想は こちらへ トップへ戻る 目次へ