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法務省に、「シビリアン・コントロール」を
2月3日の読売新聞は、「検察官」という特集記事の中で、法務省職員について次のように報じていました。
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法務省職員 他省庁と異なり、局長以上は全員、司法試験に合格した検察官、裁判官の出身者。刑事、民事の法令立案には、法律専門家の方が適しているとの考えからだ。裁判官はいったん検事となる辞令を受け、同省職員になる。東京・霞が関の本省では、約130人の法律専門家が、それ以外の職員約700人を引っ張る形だ。
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記事は、刑事、民事の法令立案には法律専門家の方が適していると書いていますが、本当にそうでしょうか。もし、そうであるならば、法務省以外の官庁でも同じように幹部には専門家がふさわしいと言うことになります。厚生労働省の幹部には医師免許の所有者が、防衛庁の幹部には現職の自衛官や防衛大学の出身者が、文部科学省の幹部には○○博士がふさわしいと言うことになりかねません。
読売新聞はこの6日後の2月9日、「検証政治責任(10)大日本帝国憲法 責任政治の崩壊(連載)」という連載記事の中で、「統帥権を拡大解釈 文官排除の軍人心理」と題して、次のように論じていました。
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・・・歴史家の秦郁彦氏は、「統帥権独立には、『文官に戦争のことがわかるものか』という軍人心理が働いている。そして軍閥は、内ではもめても、外に対しては一致結束してあたった」と語る。統帥権独立の拡大解釈と現役武官制の復活が、明治立憲制の息の根をとめていくのである。・・・
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2月9日の読売の記事の中にもありますが、「どのような国防方針を立てるか、どれだけの兵力を持つか――といった問題に関しては、軍事の専門家の知識だけでなく、財政、外交など総合的な見通しが必要である」事は、言うまでもありません。このような視点を欠いた職業軍人にすべてを委ねたことが、日本を崩壊に導いた一因です。ここから学び取ることは、政治問題を、視野の狭い専門家に任せてはいけないと言うことです。「シビリアン・コントロール」とはそういう意味だと思います。
そういう視点に立てば、行政官庁である法務省の幹部が法律の専門家である判事や検事によって独占され、法務省が司法官僚に支配されている現状は、行政権の独立という点からも、民主政治にとって好ましくないと言わざるを得ません。法務省が各方面から批判の強い夫婦別姓法案や人権擁護法案など、世間の常識からかけ離れた法案作りを止めないのは、この辺に原因あると思います。
検事は慢性的に人手不足のはずです。不足している検事をわざわざ法務省に出向させる必要はありません。検事は現場で刑事事件と向き合い、政治は政治家と政治家の支配に服する行政官(シビリアン)に任せるべきだと思います。どうしても法律専門家の知識が必要であれば、幹部ではなく下位職に就けて補助的業務をさせれば充分だと思います。
平成18年2月19日 ご意見・ご感想は こちらへ トップへ戻る 目次へ