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見果てぬ「男女平等の夢」

 11月11日の読売新聞に、「見にくい『女性に不利』」、「増える職場での間接差別」という見出しの記事があり、職場での「男女の間接差別」について次のように報じられていました。

 「『間接差別』という言葉が働く女性達の間で注目されている。性とは関係ないように見えて、実際には女性ばかりが不利になるという待遇差のこと。・・・『女性差別を見えにくくしている』と言う声が高まってきた」
 「『パートだから低賃金』とすれば、それ自体は別に男女差とは関係ないように見える。しかし、パートは9割以上が女性という完全な『女性職』だから、低賃金の不利をこうむるのは女性だ」
 「同じように『男性のみ家族手当て支給』とすると、明らかに性差別だが、『所帯主にのみ家族手当支給』なら、男女差には関係ないように見える。実際には所帯主の大半は男性だから、女性のほとんどは家族手当を受けられていない」
 「正社員についても、総合職と一般職といったコース別管理を『間接差別』ととらえる人が多い。・・・現実には総合職の大半を男性が、一般職の大半を女性が占めているからだ」


 パートの低賃金を問題にしていますが、パートと正社員との間で極端な賃金差があるのが問題なのか、それともパートのほとんどが女性なのが問題なのかはっきりしません。両者が混同されていますが、これは本来別々の問題だと思います。
 パートが低賃金でも、パートの男女比率が半々ならば何の問題もないのでしょうか。またはパートが、仕事が楽で恵まれた賃金であれば、パートの大半が女性であっても良いのでしょうか。それとも、パートの賃金を引き上げ、さらに男女の比率を半々にしろという主張なのでしょうか。もし、そうであるならば、パートに限って男女の比率を半々にしなければならない理由は何なのでしょうか。世の中のすべての職業、職種について、男女の比率は、半々でなければ差別だというのであれば、看護婦に女性が多いのも、大工に男性が多いのも皆「間接差別」の結果と言うことになりますが、私はそうは思いません。
 自由な労働市場でパートの賃金が低いのは、それらの労働がその程度の賃金にしか値しないものだからではないでしょうか。

 家族手当の問題で考えれば、所帯主のみに家族手当を支給するのがいけないのか、それとも所帯主の大半が男性なのが問題なのかどちらなのでしょうか。家族手当とは、労働の対価である賃金と言うよりも、手当なのですから、一家族に二重に支給されることを避けるために、支給の対象者を所帯主に限定していることは合理的な理由のあることです。家族のいる女性労働者は、夫が所帯主として家族を代表して手当を受け取っているはずですから、決して不公平ではありません。家族手当とはそう言うものです。
 労働の対価として考えるならば、家族のあるなし、つまり既婚か未婚かで支給される人と支給されない人がでてくる、家族手当そのものを不公平と言わなければなりません。賃金は労働の対価であるという考え方を徹底させるのなら、働かずに賃金を受け取る産休制度や育児休業制度も不公平ということになります。
 所帯主に男性(夫)が多いのは、夫婦が自由意志で選択した結果であれば、批判は的外れです。

 総合職と一般職のコース別管理を「間接差別」と非難するのは、一般職を希望する男性が皆無で、総合職の仕事を希望し、かつその任に堪える女性が少ないという現実を無視しています。このような考え方をしていけば、男女の数にアンバランスがある限り、「目に見えない差別」があることになりますが、これは、男女の能力、適性に全く差がないという根拠のないことを前提にした考え方です。

 制度的な男女差別が撤廃された以上、残ったアンバランスは、男女の能力差、適性差によるものと考えるのが妥当な考え方だと思います。それをそうとは考えず、「見えない差別」の存在を訴え、実際にはありもしない差別のせいにして、それを「間接差別」といって非難するのは合理的な考え方ではありません。彼女たちは現実ではない「男女平等の夢」を追っているのだと思います。

平成12年11月19日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ