I25
女性の人格を認めない女性達
 

 5月30日の読売新聞に「代理出産は許されるか」という見出しの特集記事があり、その中で、代理出産を実施した根津医師と、慶応大学名誉教授の中谷瑾子さんと、明治学院大学助教授の柘植あづみさんの3人が、不妊夫婦の体外受精卵を、妻の妹の子宮に移植する国内初の代理出産で、子供が生まれていたことについて、次のように言っていました。

 「卵子はあるが、子宮がなくて妊娠できない女性に、技術的には代理出産と言う道があるのに、『あきらめなさい』と言わなくてはならないのでしょうか。『姉に代わって喜んで産んであげたい』と妹さんが申し出てくれたので踏み切りました』(根津医師)

 「私が委員長を勤めた専門委員会が昨年末代理出産を禁止したのは、『女性は子供を産む道具ではない』、・・・などの理由からです」、「・・・第三者の子供を抱えているのは心身に大きな負担で、人体を妊娠・出産のために、道具として利用するものです』(中谷瑾子名誉教授)

 「代理出産を含む不妊治療の背景には、『子供を産むことは当然だ』という思い込みがある」、「不妊に悩む夫婦は、つらい時期を乗り越えて、子供のいない生活を受け入れて生きていくこともあるのです。子供ができないからと言って、決して不幸な人生ではありません」、「『不妊受容』も大切」(柘植あづみ助教授)


 女性はもちろん道具ではありません。「道具にされる」とは、自分の意志に反して強いられた行為を指して言うものだと思います。自分の意志でした行為は「道具にされる」とは言いません。それにもかかわらず中谷さんが、「姉に代わって喜んで産んであげたい」という妹の行為を、「子供を産む道具になった」というのは、大変な侮辱であると思います。中谷さんが言っていることは、自分は他人のために妊娠するのはいやだと言っているだけであって、だからと言って、他人のために妊娠することをいとわないと言う女性の行為を、「子供を産む道具になった』と言って非難するのは言いすぎだと思います。女性が自分の意志ですることまで、「道具にされている」と言う見方をするのは、そう言う女性達の人格を否定していることになると思います。中谷さんの意見は一種の被害妄想だと思います。

 代理出産を、「道具になっている」と非難するのなら、生体肝移植などの臓器移植や献血などはどうなのでしょうか。中谷さんのような言い方をすれば、人が人のために何かをする献身的行為は、皆「道具になっている」ことになってしまうのではないでしょうか。

 子供を望んでいるのに恵まれない、不妊の人達に対して、「『子供を産むことは当然だ』というのは思い込みである」とか、「不妊受容も大切」というのは、車椅子の人達に、「人間は皆自由に行動できるのが当然だ、というのは思い込みだ」とか、「不自由を受容することも大切だ」と言うに等しい、身勝手で冷酷な言い方であると思います。

 夫婦でよくよく考えた結果、どうしても子供が欲しいという人達に、「それは思い込みだ」と決めつけるのは、何か根拠があるのでしょうか。ずいぶん人を馬鹿にした言い方であり、不妊に悩む女性達を傷つけるものだと思います。中谷さんや柘植さんの言っていることの方が、思い込みはないのでしょうか。
 「子供ができないからと言って、決して不幸な人生ではありません」と決めつけるのは、勝手に自分の人生観を押し付けるもので、女性の人格を無視するに等しい行為だと思います。

平成13年6月3日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ