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「育児をしない男を、父とは呼ばない」

 厚生省が、「育児をしない男を、父とは呼ばない」、「家庭や子育てに『夢』を持てる社会を」、と言う新聞一面広告を出しました。少子化解消が目的なら、「結婚しない女を女とは呼ばない」とか、「子供を産まない女は女でない」とか、「子供を託児所に預ける女を母とは呼ばない」、と言う標語をなぜ掲載しなかったのでしょうか。この方が直截的でわかりやすいと思います。しかし、このような標語を載せれば、個人の生き方に対する国家の不当な干渉との非難が浴びせられる事は必至です。それでは「育児をしない男を、父とは呼ばない」というのは干渉にはならないのでしょうか。家庭内でどのように家事、育児を分担するか、父親としてどう振る舞うかは、個人の生き方、人生観の問題で、夫婦で話し合って決めればいいことです。国家が特定の生き方を押しつけるのは、まさに「強制」以外の何ものでもないと思います。

 それにしても、結婚しない人が増えたのは、本当に「家庭や子育てに夢を持てない社会だから」でしょうか。また、「家庭や子育てに夢を持てない」のは、「男性が育児をしないから」でしょうか。育児の負担が重いから結婚をためらう人がいるのでしょうか(育児負担が重いというのであれば、専業主婦と言う選択肢もあるはずです)。共稼ぎの夫婦は母親の育児負担が重く、専業主婦の夫婦に比べて子供の数が少ないと言うデータはあるのでしようか。現代の人口増加に悩む国は「女性が夢を持てる社会」なのでしょうか。
 このような主張は、少年犯罪をめぐる議論と一緒で、「社会」に対する安易な責任転嫁であり、さらに根拠のない男性への責任転嫁であると思います。「夢を持てない人たち自身」と、そういう人たちを生み出している教育に問題があるのではないでしょうか。結婚しない女性の大半が親と同居し、親のすねをかじって生きているという現実は、彼女らの未成熟と無目的を意味していると思います。

 広告の中で4人の人の意見が紹介されています。

(少子化への対応を考える有識者会議座長 岩男壽美子)
 「日本は、これまで子供をはぐくむ社会を作ってこなかった」、「結婚すると自由が失われると考える方が多い」、「保育所の入所待機や育児休業取得に伴う業績評価や昇進への不安を解消することが必要である」、「家庭や地域でも職場でも男女の共同参画を」

(作家 鈴木光司)
 「女性は結婚のデメリット、メリットを考える。現状では男性が女性にメリットを提示できていない」「日本では夫と母親、妻と息子という斜めの関係が強い。母親に過保護に育てられた男は結婚すると妻に負担をかける」

(日本経営者団体連盟副会長 渡里杉一郎)
 「長時間労働からの解放、女性の仕事・職場の範囲の拡大、育児と就業の両立が課題であり、これまでも進展があったが、労使が協力して実現していかなければならない」、「企業が少子化対策に取り組む上で最も重要なことは職場のトップの理解と姿勢である」

(日本労働組合総連合会総合政策局長 村上忠行)
 「少子化社会では女性に就業していただくことが必要。女性が社会に出て就業するためのシステム作り、出産・育児に関わる負担を支える環境整備を進めていかなければならない」、「また、育児で離職したあとの再雇用制度や延長保育、休日保育の拡充が必要である」

 その他にもいろいろ書いていますが、少子化を解消する為の議論なのか、共稼ぎの女性の待遇改善が目的なのか混然としていています。少子化の問題がテーマのはずですが、論じられているのは共稼ぎの女性のことだけで、専業主婦の事は全く無視されています。一つ一つ考えてみるとこれらの主張には、少子化問題とどういう関係があるのかはなはだ疑問です。根拠のない議論をつなぎ合わせて、見当違いのキャンペーンをしているように思います。少子化対応を考えると言うよりも、少子化問題を口実に、共稼ぎの女性達の主張をあれもこれも、言いたいことを全部言っていると言う感じです。少子化は大きな社会問題ですが、少子化で困るのは何も男性だけではありません。困るのは女性も同じです。女性達にその辺の認識が欠けていて、少子化問題を女性の要求を実現する絶好のチャンスとでも考えているようです。
 今回の厚生省の広告は、もともと内容が貧困な主張を、人気芸能人の写真を使うことによってカバーしようと言う、安易な発想に問題があったわけですが、不幸な事件の発生によってその効果は大きく減殺されてしまったようです。

平成11年3月23日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ