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完全に破綻した厚労省の少子化対策 その原点は1994年の「エンゼルプラン」にある(その1) 未婚者増加の原因は男女共同参画社会

 12月24日の読売新聞は、「出生数100万人割れ 
未婚率増 読み切れず」と言う見出しで次のように報じていました。
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[解説スペシャル]出生数100万人割れ 未婚率増 読み切れず
2016年12月24日5時0分 読売

団塊ジュニア 就職難で晩婚化も
 厚生労働省が22日に発表した人口動態統計年間推計で、2016年生まれの子どもの数が98万1000人となった。推計数が100万人を割るのは初めてだ。第2次大戦直後の団塊の世代、1970年代前半の団塊ジュニアに続く、
第3次ベビーブームが起きず、少子化に歯止めがかからなかった。その背景を追った。(編集委員 阿部文彦)

  明治以来
 日本人の出生数は、1883年(明治16年)に100万4989人で100万人を突破、翌年に90万人台に落ち込んだが、85年から世紀を超えて100万人以上を維持してきた。1947年から49年生まれの団塊の世代で出生数は最高の270万人を記録。53年からは100万人台で推移したが、71年から74年生まれの
団塊ジュニアは200万人台を回復した。

 人口ピラミッドで大きなこぶを形成した団塊の世代と
団塊ジュニアに続き、第3のこぶができるのではないか。80年代半ばまで、人口学者はそのように推測していた。

 
団塊ジュニアが10代前半だった86年、厚生省人口問題研究所(現国立社会保障・人口問題研究所=社人研)が「日本の将来推計人口―昭和60〜100年」を公表。「2000年には第3次ベビーブームが起きる」として、2000年の出生数を179万人と推計した。しかし、実際には、第3次ベビーブームは起きず、2000年の出生数は119万人に漸減、今年はついに132年ぶりに100万人を割る見込みだ。

  晩産化 狂う推測
 前後の世代に比べても、数十万人以上の厚みがあった
団塊ジュニアに何が起きたのか。1986年当時、人口問題研究所に在籍していた、高橋重郷・明治大講師は「出生率の前提となる婚姻行動に劇的な変化が生じてしまった」と指摘する。

 出生率は、初婚年齢、
未婚率、初産年齢、子どもを産む母親の数、夫婦の平均的な子どもの数などに左右される。誤算の原因となったのが未婚率だ。85年には、50歳時点で一度も結婚していない「生涯未婚率」は女性で5%以下にとどまっていた。

 25歳以降の結婚が増え、初婚年齢が上がる「晩婚化」が徐々に進んでいたが、推計では、「多くの女性は結婚するので、子どもを産むタイミングが後ろにずれる『晩産化現象』が起きるだけで、出生率は変わらない」と仮定していた。

 ところが、95年に5・1%、2005年に7・25%、10年に10・61%と、団塊ジュニアの成長に歩調を合わせるかのように、
女性の生涯未婚率は上昇した。15年の国勢調査によると、団塊ジュニア世代の女性40歳代前半の未婚率は19・1%と前の世代に比べても高い。5人に1人が結婚していない計算だ。

 一方で、
夫婦の平均的な子どもの数は、1980年代の2・2人に比べると減少しているものの、2015年も1・94人を維持している。「1990年代から急激に晩婚化が進み、結婚しない女性の割合が増えたため、出生率も低下した」と高橋講師は分析する。

 1人の女性が生涯に産む平均的な子どもの数を示す合計特殊出生率を世代別にみると、71年から75年生まれは1・43で、10歳上の世代に比べて0・26ポイント低い。第1次と第2次のベビーブームでは、25〜30歳の母親が短期間に子どもを産み、出生数を増やした。しかし、
団塊ジュニアは晩婚化の影響で、20歳代の出生率が低く、ベビーブームは起きなかった。

  ためらう結婚
 晩婚化が進む要因は様々だ。人数が多い
団塊ジュニアはもともと、ほかの世代に比べて競争が激しく、進学や就職で不利益を被りやすい。さらに、団塊ジュニアが社会人となったのは90年代で、バブル経済崩壊後だった。就職氷河期で非正規社員の割合も高く、「結婚資金をためられない」「結婚後の生活が不安」といった理由で、結婚が遅れた人も多い。

 社人研が行った出生動向基本調査(2015年)によると、25〜34歳の未婚者は、
「適当な相手にめぐりあわない」「まだ必要性を感じない」「結婚資金が足りない」などを、独身にとどまる理由にあげる。初婚年齢は上昇を続けており、団塊ジュニアの後に生まれた世代でも晩婚化は深刻さを増している。

  楽観視
 政府や自治体の
少子化対策も不十分だった。1990年代、合計特殊出生率は1・54から1・34にまで徐々に下がり、初の総合的な少子化対策となる「エンゼルプラン」が策定されたが、保育所の増設などにとどまった。

 当時、厚生省大臣官房政策課で社会保障政策を担当した増田雅暢さん(元内閣府参事官)は、「少子化対策にお金をかけなくても、
第3次ベビーブームがいずれ来るだろう、という声もよく耳にした」と振り返る。

 イギリスやフランスでも晩婚化が進み、80〜90年代にいったん出生率が下がったが、2000年前後に反転上昇した。高い家族給付や、子どもの多い家庭への所得税減税、幼児がいる低所得世帯への支援プログラムなどの家族政策を強力に推し進めたためだ。日本で少子化対策が後手に回った背景には、幻に終わった
第3次ベビーブームの影も、ちらつく。
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 この記事を見てまず気づくことは、今までと違い、「子育て支援」の必要性に一切触れていないことです。それに代わって、記事には
第3次ベビーブーム、団塊ジュニア と言う言葉が頻繁に登場し、1980年代後半当時は、2000年頃には第3次ベビーブームが起きるので、少子化の心配はないと考えられていたが、予想された第3次ベビーブームが起こらなかったことが、少子化の直接の原因であると論じていることです。
                                            
 



男性未婚率の推移


女性未婚率の推移




 そして
第3次ベビーブームが起きなかったのは、当時の経済事情の悪化が原因であるとしています。
 少子化問題が国家の喫緊の課題として認識されるきっかけとなった1989年の1.57ショックから今日に至るまで、このような主張・説明がなされたことは一度もなく、今になって初めて聞く
新説です。

 さらに「団塊ジュニアの成長に歩調を合わせるかのように、女性の生涯未婚率は上昇した」、「人数が多い団塊ジュニアはもともと、ほかの世代に比べて競争が激しく、進学や就職で不利益を被りやすい」、「団塊ジュニアが社会人となったのは90年代で、バブル経済崩壊後だった」などと、少子化が
「世代」の問題、経済事情の問題であるかのように論じていますが、敗戦直後の食糧不足の経済混乱期に空前のベビーブームが起きたことを考えれば、就職難などの経済事情が極端な未婚者の増加、ひいては少子化に結びつくとは考えられないと思います。

 80年代から90年代にかけてのいわゆる高度成長・バブル全盛の時代を含めて、現在に至るまで
一貫して未婚率は上昇し出生数は減少を続けたのですから理由は他にあるはずです。私は未婚率の急増をもたらしたのは、男女の分業、夫婦の役割分担を否定した「男女共同参画社会」の出現だと思います。男女がそれぞれ全く同じことをすることを要求される社会では、男女が補完関係にある社会に比べて、男女双方にとって結婚の魅力が薄れ、必要性が低下することは否めないと思います。
 未婚者に対するアンケート調査での、「まだ必要性を感じない」と言う回答がそれを暗示していると思います。

 記事の見出しが
「未婚率増 読み切れず」となっていますが、男女雇用機会均等法、男女共同参画社会基本法施行と少子化対策による共働きの母親の支援・推奨(専業主婦の迫害)を経て、平成になってからの未婚率の顕著な上昇に気づかないはずがありません。少子化の原因について、少子化対策の失敗について議論が核心(「男女共同参画社会」の是非)に迫ることを回避するために、気づかなかったことにしようとしているだけだと思います。

 記事の終わり近くで、「
政府や自治体の少子化対策も不十分だった。1990年代、合計特殊出生率は1・54から1・34にまで徐々に下がり、初の総合的な少子化対策となる「エンゼルプラン」が策定されたが、保育所の増設などにとどまった」と、軽く“保育所”に触れた部分がありますが、既に保育所の増設に代表される長年の少子化対策が完全な失敗であったことを明確にすべき段階に来ていると思います。

 「団塊ジュニア原因説」は、今までの
少子化対策が無残な失敗に終わったことに対する、単なる言い訳のために考え出された“珍説”ではないのでしょうか。

 この記事は極めて不十分な形ではありますが、従来の
少子化対策が効果がなかったことを認めました。効果のない少子化対策がなぜ何年も延々と続けられ、軌道修正が出来なかったのか明らかにすべきだと思います。

平成28年12月28日   ご意見・ご感想は こちらへ   トップへ戻る   目次へ